©2019 Aurum Film Bodzak Hickinbotham SPJ.-WFSWalter Film Sp.z o.o.o.-Wojewodzki Dom Kultury W Rzeszowie -III Neovision S.A.-Les Contes Modernes

人が衣装を選ぶのか、衣装が人を選ぶのか。緊迫の〈衣装劇〉の結末を見届けよ!

 少年院で日常的な儀式と化しているのであろう暴力的な虐待の光景で映画は幕を開ける。木工場での作業中に職員が席を外したとたん、憐れな犠牲者が巧みな連携プレーによる仲間からの集団暴行の餌食になるのだが、その際に画面手前に立つ見張り役の顔にフォーカスが合うことで、その眼光鋭い若者、ダニエルが本作の主人公であるとわかる。彼のキャラクターが輪郭づけられるのは、続く院内でのミサの場面でのことだ。自分は形式的に祈りをするつもりはない、ここにいたくないなら去れ……との強気の言葉から説教を始める男性的で厳格な神父に対し、ダニエルは憧れにも似た眼差しを――その特徴的な大きな目から――送り、見事な讃美歌まで披露する。

 私たち一人ひとりがキリストの代弁者である……と神父は述べるが、あらゆる種類の傷つきし者たちの畏敬や共感の的となり得る十字架上のキリストの苦悶こそ、彼の教えが世界に浸透した魔法の源であるのだろう。

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 本作は〈衣装劇〉(コスチュームプレイ)としての魅惑に貫かれる。そもそも衣装とは何か。それは、ある人物の在り方を自明な前提とし、その彼が事後的に選択するものであり、単なる飾りや付け足し、実用的な道具にすぎないのか。

 しかし、この映画の示唆に富む教えによれば、むしろ衣装こそが人の在り方に先行し、それを決定づけるかのようだ。神父へのダニエルの畏敬や憧憬は、神父の衣装やそれが象徴する立場(外観)に対する畏敬や憧憬と同一であり、しかも、そのことによって、ダニエルのキリスト教への真摯な情熱(内面)が陰るわけではない。少年院を出たダニエルは、田舎町の教会で出会った若い女性に、おそらく悪気もなく自分は司祭であると嘘をつく。品行方正には見えない彼の普段着姿の外観に、だったら自分は修道女だと女性は嘲るように応じるのだが、どこかで手に入れた司祭服をダニエルが見せただけで態度が豹変する。このやり取りの後に物語は急展開を遂げるだろう。その教区の神父が一時的に留守となるあいだ、ダニエルが代理を務めることになるのだ。