中心人物の村上貴一が活動を休止しても、4人の歩みは止まらない。この新作ではコーラス担当だったKDがヴォーカルと作詞/作曲を担って、まろやかで温かい歌声を聴かせ、60 ~70sロックやフォークの妙味を取り込んだ演奏はさらに熱を帯びている。荒井由実を思わせる“夜明けをさがして”などのラヴソングが主体だが、そこに滲む喪失や欠落感がいまの彼女たちの偽りない心情であろうし、だからこそ心に届く。

 


2021年1月7日。昨年4月以来2度目となる緊急事態宣言が発出された。ヴォ―カルとギター、ソングライティングを担当していた中心メンバー・村上貴一が不在の中、新ヴォーカル/ギターのKD主導で新たなスタートを切ったばかりのキイチビール&ザ・ホーリーティッツにとって、この状況は決して歓迎すべきものとは言えないだろう。だが本作『すてきなジャーニー』を聴いた僕は、確信した。どんな逆境にあっても、彼らならきっとユーモアを交えながら、逞しくしなやかに音を鳴らしていくだろう、と。

本作は、歌をとても大切にしたアルバムだと思う。歌メロが前面に出ているとか、そういう表面的な意味においてではない。本作の心臓部では、人間の生活感情をリアルに映し出した歌が確かに脈打っている。そしてそのことを通して本作は、〈人がいる限りそこには生活がある〉という当たり前の、だがつい忘れてしまいがちな事実を改めて実感させてくれる。まるで、戦時下における市井の人の暮らしを丁寧に描いた映画「この世界の片隅に」のように。

では本作で歌われる生活感情とは、一体どんなものだろう? 少なくともそれは、幸福ムード一色ではない。たとえば、歌謡曲的なメロディーラインとオルタナティヴ・ロック調のサウンドの組み合わせが初期の椎名林檎を彷彿させる“ときのほうがく”の主人公は、〈まっさらな未来〉にときめくことができていた過去を恨めしそうに振り返り、シティ・ポップ調の軽快なナンバー“妄想デート”の主人公は、思いを寄せる人と〈日曜なんかに会いたい〉と願っているにもかかわらず、結局妄想の中へ逃げ込んでしまう。アルバム序盤を構成するこれらの曲で描かれる感情や態度は、どちらかというと後ろ向きだ。

そんな中、僕は5曲目の“ゆめみるころがおわっても”に、とりわけ強く耳を奪われた。荒井由実および初期の松任谷由実を彷彿させる、瑞々しく美しいこのミディアム・バラードは、本作におけるハイライトの一つだろう。このタイトルの元ネタは、〈夢見る頃を過ぎても〉であろうか。元々アメリカのスタンダード曲に冠されていたこのタイトルは、後にTVドラマや漫画などさまざまなジャンルの作品に引用されている。それらの作品はテーマも表現も多様であるが、戻れぬ過去への郷愁と未来に向かって歩んでいくことへの決意を同時に滲ませている点で、共通している。そして〈いろんなことに気づかず、かなしませた〉過去があるからこそ芽生えた決意――〈きみがいつもどおりの帰り道を笑ってゆければいいね/ぼくがそうさせるのさ今度は〉という決意を歌う“ゆめみるころがおわっても”もまた、その系譜に連なっていると言えるだろう。

“ゆめみるころがおわっても”を聴いた後では、それまで後ろ向きだと思えていた曲たちも少し別様に感じられてくる。悔恨や逃避もまた歴とした現実との向き合い方であり、それを通じて希望を獲得できるかもしれない、というように。もちろんその歩みは、決して直線的とは言えないだろう。“夜明けをさがして”の主人公のように、〈心の中の黒い点が自分たちをだめにする予感〉を抱いているにもかかわらず、肝心なことを〈らららら〉と濁してしまうようなことが、僕たちにはしばしばある。だがそれでもきっと、ときに停滞し、ときに逆戻りしながら、僕らは少しずつ進んでいる。その歩みは、言わば螺旋的なものなのだ。

そんなことを念頭に置いていると、フォーク・ロック調のスロウテンポな表題曲“すてきなジャーニー”の〈今日はすばらしい日〉という何気ないフレーズが、やけに胸に迫ってくる。〈今日はすばらしい日〉だなんて感じられる瞬間が人生においてごくたまにでもあるのなら、いまが停滞のただ中であっても、もう少しだけ頑張れるかもしれない。アルバムの流れの中で“すてきなジャーニー”を聴くと、そんな風に思う。

だがそんな感動的な曲で大団円を迎えないところが、いかにも彼ららしい。本作はその後、アップテンポな“ラッキークレイジーアワー”で駆け抜けるように幕を閉じる。この幕切れはあっけないが、しかし何とも清々しく、そしてそこには妙な説得力がある。人生が終わるときというのも、案外こんなものなのかもしれない。

〈人生とは旅のようなものだ〉という、常套的な比喩表現がある。もしそれが正しいとすれば、人生の様々な局面における心の動きが細やかに記録された本作は、ある種の旅行記だと言えるかもしれない。物理的な旅ではなく、〈内なる旅〉の過程を書きつけた旅行記。今回ソングライティングを担当したKD自身の心情が本作にどれほど表れているかは、わからない。ただ一つはっきりと言えるのは、ここに記録された旅の軌跡が、多くのリスナーをそれぞれの〈内なる旅〉に駆り立てるだろう、ということだ。かつて読者の多くを後追いのバックパッカーに変えた、沢木耕太郎「深夜特急」のように。僕もまた〈内なる旅〉に駆り立てられた一人として、自分の心がこれからどのように動いていくのかを思い、ワクワクしている。