〈趣味〉は人と人とを結びつける〈運命的な愛〉なのか?
フランスの社会学者ピエール・ブルデューの代表的な著作「ディスタンクシオン」(石井洋二郎訳、原著は1979年刊)が、最近本屋で平積みになっていた。昨年末に〈普及版〉(それでも安価とはいえないが)が刊行された事情もあり、再び注目を浴びているようだ。今泉力哉監督の新作「あの頃。」のすばらしさは、かつてブルデューが同書で展開した〈趣味〉の理論と重なり、だからこの文章では、そのリヴァイヴァルにあやかることにする。
劔樹人の自伝的コミック・エッセイを原作とする本作は、2000年代初頭の日本を席巻した〈ハロー!プロジェクト〉の女性アイドルの熱狂的なファンになることで、人生を救済された若者の物語である。大学院受験に失敗し、恋人や金もなく、バンドの練習ではテクニックや練習の不足を他のメンバーになじられる……と陰鬱な日々を過ごす主人公の男性が、ある時、たまたま目にした松浦亜弥のMVを契機に覚醒し、それまでの消極性が嘘のようにハロオタのイヴェントに通い、難なくその仲間に迎え入れられる。正直、僕はハロプロにほぼ関心のないままこれまで生きてきたし、それで不都合を感じたこともない。だから、主人公とその仲間の生態(!)から素直に〈異文化体験〉を満喫できるのだが、それだけでなく、いろいろと考えさせられた。そこで、乱暴な簡略化も恐れずブルデューの議論を導入する。
〈趣味〉は〈人々を結びつけたり切り離したりする〉とブルデューは書く。〈つまりそれは生活条件のある特定の集合に結びついた条件づけから生まれるものなので、同じような条件から生まれた人々すべてを結びつけるのだが、同時にこれらの人々を他のすべての人々から区別〉しもする。だから〈趣味〉とは〈避けることのできないひとつの差異〉の〈肯定〉になる……と。難しい話ではない。誰もが記憶にあるだろう。同じ音楽や服装といった〈趣味〉によって、ある者とは強い絆が結ばれ、別のある者とは袂を分かつこと……。居場所を見つけられずに苦しむ主人公が、ハロプロという〈趣味〉に到達することで〈同じような条件から生まれた人々〉と結びつく。そんな〈趣味〉=〈共感〉に基づく〈親和力〉を、ブルデューは〈運命的な愛〉と呼びさえする。
とりわけ僕にとって感動的なのは、ブルデューの〈趣味〉の理論では〈共感〉(=結びつき)と背中合わせのものであるはずの〈反感〉(=切り離し)、他の集団との〈卓越化〉や〈上昇志向〉を巡る象徴闘争の要素が本作の登場人物からほとんど感じられない点だ。なるほど〈ハロオタ〉は同じ〈趣味〉によって結ばれるが、だからといって〈~が好きだ〉と主張することで、〈他の~が好きだ〉を主張する誰かに反感を抱き、自分が彼らより上になること、つまりは、〈趣味〉による自らの〈卓越化〉を目指したりしない。そもそもそんなことはできないと、謙虚な彼らは分かっている。そしてだからこそ、彼らは社会から除け者にされたマイリノリティーとしての自己憐憫からも自由である。僕らはそうした自己憐憫=陶酔(ナルシシズム)を描く映画をすでに見飽きていて、そこから自由な点が本作の新しさなのであり、これは、〈運命的な愛〉への肉薄を果たす、見事なまでの〈恋愛映画〉なのだ。
CINEMA INFORMATION
「あの頃。」
監督:今泉力哉
脚本:冨永昌敬
音楽:長谷川白紙
原作:劔樹人「あの頃。男子かしまし物語」(イースト・プレス刊)
出演:松坂桃李/仲野太賀/山中崇/若葉竜也/芹澤興人/コカドケンタロウ/大下ヒロト/木口健太/中田青渚/片山友希/山﨑夢羽(BEYOOOOONDS)/西田尚美
配給:ファントム・フィルム(2020年 日本)
◎2021年2月19日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
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