自由と平等の社会を夢見て生涯を駆け抜けた〈東ドイツのボブ・ディラン〉の孤独と愛
「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」の主人公は実在のシンガー・ソングライターだ。彼の音楽は日本では聞いたことがない人がほとんどだろう。しかし素晴らしくよくできた映画なので、観終わるころには、昔から彼のことはよく知っていたような気がしてくる。2019年に〈ドイツ映画賞〉を6部門(最優秀賞、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、美術賞、衣装賞)で受賞したのも納得の傑作だ。
ゲアハルト・グンダーマンは1955年、ドイツのワイマールに生まれ、チェコとの国境に近い炭鉱地区で育った。偶像崇拝に反抗して軍隊の学校を追い出された後、炭鉱で働きながら音楽活動をはじめ、ミュージシャンとして認められてからも、炭鉱が閉鎖される97年まで技師の仕事を止めなかった。しかし過労が災いしたのか、翌98年に43歳で早逝している。
映画は92年を起点に、70~80年代の出来事と行ったり来たりしながら進んでいく。物語は音楽と恋と政治と仕事の体験をフィクションでよりあわせた組紐のようだ。
縦糸のひとつは政治。ドイツは1949年から90年まで冷戦の最前線にあり、東西に分断されていた。グンダーマンは東ドイツに生まれ育ち、ドイツ社会主義統一党に入党。国外での音楽活動許可と引き換えにシュタージ(国家保安省)の協力者として、知人の行動の監視・報告を引き受けた。
しかし部屋の壁にチェ・ゲバラのポスターを貼る彼は、硬直した組織になじむような人間ではない。党を批判して除名。シュタージに協力しなくなると、彼自身が監視され、音楽活動を妨害されるのだ。映画が起点に置いた92年は、ドイツ再統一後、シュタージの膨大な資料が公開されはじめた年でもある。
音楽活動を続けながら過去の記憶や罪と向き合い、償いの行脚をはじめる彼の姿を、映画は抑制のきいた語法で描いていく。アンドレアス・ドレーゼン監督はこう語っている。
「理想の国を作ろうとして協力者になった人は彼だけでなく数多くいたのです。自由と平等の社会を夢見た人が加害者になり、被害者にもなる。この映画の背景には、その複雑な悲劇が理解されないのが残念という思いがありました」
よかれと思って生まれた組織が、いつの間にか人々を抑圧する制度に変わる例は、時も所も政治体制も選ばない。機密保護法が作られ、異議が炎上で妨害され、コロナ禍で見回り隊が登場する現実を体験してもなお、シュタージは遠い世界の出来事、のままで安閑としていられるのかどうか……。