(左から)PAKshin、黒川隆介
取材協力:CRAFTHOUSE TALKIE'S

気鋭の若手詩人・黒川隆介が洋邦/新旧を問わず、気になるアーティストの楽曲を1曲ピックアップし、その歌詞を咀嚼して、アンサーソングならぬ〈アンサーポエム〉を書き下ろすこの連載。今回は特別編として、結成15周年を迎え5月12日に12作目のアルバム『誰そ彼レゾナンス』をリリースした大阪発エンタメ・ジャズ・バンド、Calmeraのキーボーディスト、PAKshinさんと対談いたします。テーマは〈酒と音楽〉です。それではどうぞ!


 

音楽を仕事として考えていかないといけないんだな

――黒川さんとPAKshinさんの出会いから教えていただけますか?

PAKshin「隆くんと初めてしゃべった時にはすでにお互い顔を知ってるくらいだったよね。当時の隆くんは映像の仕事をしていて、詩人っていう肩書きは知らなくて。それが2019年とか」

黒川「そうでしたよね。唐突ですが、パクさんが音楽を始めたきっかけはなんだったんですか?」

PAKshin「全然覚えてないねんけど、3歳ぐらいの時にヴァイオリンをやりたいと親に言い出したらしい。でも、おかんがバイオリンはお金かかるし、教室に親が付いていかないとあかんから嫌やと。おばさんがピアノの先生をやってるから、ピアノだったらいいよということで、親戚付き合いでピアノを始めた。それから中学生ぐらいまでずっとピアノをやっていたけど、週に1回のレッスンがすごく嫌で。周りの友達には〈なんで男やのにピアノやってんねん〉って言われるし。

で、中2か中3でジャズという音楽ジャンルに出会って、〈ジャズってかっこいいな〉と思うようになってからは、ジャズ・ピアノを習いに行き始めた。でも、高校生になったら部活とか勉強とか恋愛が楽しくなって、音楽をやめちゃって。それから時間が少し空いて、大学生になってから何のサークル入ろうかとなったときに、そこでまた音楽をやってみようと軽音楽部に入ったんだよね」

黒川「音楽で食べていこうって意識するようになったタイミングはどこなんですか?」

PAKshin「それはけっこう時間かかって。たぶん上京した時じゃないかな。2013年とか。2008年、当時大学生でCalmeraに入って、その当初はまだ就職する気で、大学生の間だけやるって話もしていた。ただ、その間にアルバムを出したり、いいイベントに出れたりして、バンドの活動とか、バンドがステップアップしていく過程が楽しくなってきて、就活もせずに大学を卒業してしまって。その時に、親に〈3年だけ猶予がほしい〉〈バンドがいい感じになっているから、3年だけ好きなことをやらせてほしい〉〈3年で形にならなかったら辞める〉という話をした。その3年目で、今の事務所への加入と、ワーナーミュージックからのデビューが決まって、一応形になったんだよね」

2013年作『HANZOMON LINE』収録曲“真夜中の510”。本作はCalmeraのワーナーへの移籍第一作
 

黒川「ということは、意識はしていたけど気付いたら音楽で食べていた感じですか?」

PAKshin「そうそう。それまでは〈なんとなく楽しいからやってた〉だけど、大阪から上京してくる時に〈俺は音楽を仕事としてしっかり考えていかないといけないんだな〉っていう確固たる意識を初めて持った」

黒川「なるほど」

PAKshin「大阪が大好きやったし、今ももちろん大好きやけど、東京に来たばかりの時はすごく辛くて。当時は慣れない土地に出てきて、デビューが決まったからといってもお金がバンバン入ってくるわけではないし。生活は苦しくて、すごくしんどかった。その時に、業界問わずに先輩たち、特に大阪から上京してきた先輩や、小説家の木下半太さんには励ましてもらったりアドバイスをもらったりしたな。今はしんどいかもしれないけど、こういう風に頑張ればお金は後からついてくるし、絶対楽しいからって。今考えるとそういうことが結構やる気になっていた」

黒川「パクさんとしゃべっていると、根底にハングリーさがある人だなと感じていたんですけど、自覚はありますか?」

PAKshin「隆くんよりあるかどうかわからんけど(笑)。自覚そこまでないねんけど、やっぱり地元がハングリーな奴がひしめいてる地域で。大阪の中でもいわゆる貧しい人や、学校を中退していくような人が多いエリアで、やっぱり音楽をやるからには有名になりたい、ビッグになりたいというのは根底にあったし、それは今でも思ってる。自分の力で一つこれを成し遂げたというのを、人生の中で実現したいと思ってる。だから育った環境で培われた根性はあるのかもしれない。舐められたら負け、みたいなね」

 

人と人との繋がりと創作

黒川「では、音楽を作ったり演奏したりする上で、自分が暮らす地域や過ごす場所は意識しますか?」

PAKshin「音楽って、たぶん自分が生活する場所が関わるかなと思うよ。例えば、隆くんもそうやけど、刺激を与えてくれる人との出会いはすごく創作意欲に繋がるし。とはいえ、人混みは嫌いで、自分の家は周りに緑がないと落ち着かないけど」

黒川「それはとても共感します。最近引っ越しをしたんですが、創ることにおいて空が開けていたり、街が詰まっていないというのは精神的に大きいと思いますね。でも刺激という意味で考えるとうちの近所は刺激的な体験が多くできるので、この連載の締め切りが迫ってる時でも、何かヒントが転がってたり、他の街では起きにくい出来事に遭遇したりするんですよね」

PAKshin「たしかに人と人が連鎖してる感じはあるよね。1人と繋がると、あの人も実は知り合いで……って数珠つなぎのようになっていって。1週間空けてどこかに行くと、どこかしらで事件があったりとか(笑)」

黒川「そういえば、今回リリースされた『誰そ彼レゾナンス』でも、人との繋がりが縁でコラボがあったということで」

『誰そ彼レゾナンス』収録曲“上にいきたくないデパート”
 

PAKshin「今回のアルバムをどういうコンセプトにしようかと、初めにメンバーで会議をして。ジャズのカヴァーも入れたい、でもオリジナル曲も入れたい、それなら全部入れようって話になった時に、クラブ・ジャズDJの小林径さんが出している『ルーティン・ジャズ』っていうジャズのミックスCDの中に“Nica's Dream”という、ジャズのスタンダードのトラックにラップを載せてる曲があったことを思い出して。大学生の頃にものすごく聴いてたから〈こういうのをやりたい〉ってメンバーに話したところ、〈めっちゃいいやん、これやろうよ〉ってことになり。とりあえず誰にラップをやってもらうかは抜きにしてトラックだけ先に作っちゃって、トラディショナルなアレンジに寄せて、それが“Recado Bossa Nova”。

じゃあこの上で誰にラップをやってもらえるかなってなった時に、〈そういえばパクちゃん、ちょくちょく店でRYO-Zさん(RIP SLYME)に会うって言ってたよね〉となり。〈いや、ちょくちょく会うけどあの方は絶対俺のこと覚えてないよ〉と(笑)。でも、言ってみるのはタダやから、もしRYO-Zさんのアスタラビスタに頼めたら、それはやばないか? いや、死ぬほどお金かかるんじゃないか? でも聞くだけタダやから、ということで、このお店(取材場所のCRAFTHOUSE TALKIE'S)の店長の斉藤敬介さんに仲介を頼んで、RYO-Zさんにお願いしてもらって。そしたら快諾していただいて、やっていただけたという。結成15周年マジックというか、自分たちでも勢いを感じる部分があったね」

リョージ・クルーニー a.k.a RYO-Z (RIP SLYME)が在籍するラップ・グループアスタラビスタが参加した“Recado Bossa Nova -MAOH-”
 

黒川「敬介さんは、長きにわたってそうした人と人を繋ぐ〈一人レーベル〉みたいなことをやってますよね。結局、何かを創り、世に出すとなると、人×人という掛け算が大事になってくるなというのは感じます。詩は基本的には個人的な作業ではあるんですが、何かと何かの掛け算で仕上がっていくのがあるので」

PAKshin「そういうことは年々感じるようになってきたというか。成功している先輩たちの中にはめちゃくちゃな人もいるけど、みんな共通しているのは純粋な人間性。周りに人が集まってくる。それは隆くんと同じことを感じていると思う」

黒川「アーティストの方と一緒になることは多いですけど、ほとんどの人はめちゃくちゃですからね(笑)。まあ僕を含めてだとは思うんですけど」

PAKshin「あ、よかった。その認識があって(笑)」

黒川「でも皆さんヤバさの奥に、自分の好きなことに対する純粋性みたいなものは一貫して持っているんですよね。社会性とかを全部取り払った時に、好きなものに対してのエネルギーは半端じゃなくあるというか」

PAKshin「隆くんは詩人として一人で創作活動をするやん。そこのしんどさってのはかなりあるんじゃない?」

黒川「バンド・メンバーもいないと、折り合いをつけるという作業がまずないので、99点が出ているのにそれを100点にするっていう作業がものすごくきついですね。それは誰に頼まれているわけでもないし、誰の評価を気にしてるわけでもないし、これを出したらこれが良くなるとかでもない。ゴールがないのに仕上げないとならないっていう自分の精神のハードさは勝手に年々強まってるように感じます」