インタビュー

渡邉琢磨 × 評論家ジェイムズ・ハッドフィールド対談――邦楽の現状、批評のあるべき姿、渡邉琢磨『Last Afternoon』をめぐって

EXOTIC GRAMMAR VOL. 75-3

A symmetric talks before after “Last Afternoon

 ヴィジュアルからサウンド、あるいはサウンドからヴィジュアルを生成し、さらに批評を重ねる。映画史と音楽史を交差させながら、その余白に新たなイメージを見出す。新作『Last Afternoon』を発表したばかりの渡邊琢磨と、国内外の音楽、映画を書き続けてきた評論家ジェイムズ・ハッドフィールドの、投げかけられ、重ねられた言葉が跳ねる。

Takuma Watanabe 『Last Afternoon』 SN Variations/Constructive(2021)

 

渡邊琢磨「ジェイムズさんは東京にお住まいになられて、20年くらいになりますか?」

ジェイムズ「近いですね。2002年から日本に住んでいます」

渡邊「どこかでニアミスしていた可能性もありますね。スーパーデラックスとかですかね?」

ジェイムズ「その可能性はありますね。スーパーデラックス懐かしいですね」

渡邊「大変ざっくりしたお伺いになりますが、その20年くらいの間、日本の音楽シーンはどのように変遷してきたと思われますか?

ジェイムズ「はじめて日本に来たときは、バンドにもっと力があったと思います。いまも日本のバンドやポップスは海外でも人気ですが、私が日本に来たころは、まだ90年代の流れが残っていて、そのとき見ていたバンドなどは、結構凄くて。活動中のバンド自体が音楽の最先端だったと言える時期だったけど、最近は誰もやったことがない音楽をやっているバンドは少なくなったと思います。日野浩志郎さんの〈goat〉や、〈空間現代〉など、いまでも素晴らしいことをやっているバンドはありますが。個人的にはエレクトロニック・ミュージックの分野で活躍しているソロ・アーティストに期待しています。

渡邊「いまレーベルはメジャーもマイナーも関係なくなって、それは国内に限らず全世界的な傾向ですね」

ジェイムズ「そうですね。MySpaceが全盛だった頃、海外では大きな効果がありましたが、日本ではそうではありませんでした。まだ多くの人がPCを使っていませんでしたし、CDは依然として売れていました。だから日本のアーティストがインターネットを活動に取り入れるのが少し遅れたと思います。最近ではネット・レーベルが普及し、SoundCloudやBandcampを利用するアーティストが増えてきたことで、日本のソロ・アーティストが海外で少しずつ注目されるようになってきたのではないでしょうか。彼らは日本での人気を気にする必要はありませんし、主に海外のレーベルから音楽をリリースしています」

渡邊「日本のアンビエントという括りで作られたコンピレーション『環境音楽』など、逆に海外で日本の音楽や特定のコンテクストの再評価が進んでいたりもしますね」

ジェイムズ「確かにそうですね。昔に比べて日本の音楽に触れる機会が増えました。例えば、高田みどりさんのアルバム『Through The Looking Glass』はYouTubeでヒットしました。海外における日本の音楽文化の認知度や知識は確実に向上していると思います」

渡邊「ところで、ジェイムズさんは映画批評もお書きになられていますが、邦画に関するここ数年の変化はいかがでしょうか? 映画制作は個人で完結できるものではないですし、テーマや制作の成り立ちも音楽とは全く異なると思いますが」

ジェイムズ「ケースバイケースだと思います。日本映画の中には海外向けの作品もあるように感じます。私は美的なポイントが気になる人だから、映像や音楽がしっかり作り込まれている作品が好きです。TVドラマと同じように作られた映画は、国内向けにしか作られていないことがわかります。日本の大作映画でもTVドラマのようなものがたまにあります。一方でミニシアターと呼ばれる劇場で上映される作品には、海外の観客や映画祭を意識した作品もありますね」

渡邊「映画は興行も考えざるを得ない場合も多々ありますし、その点映画を取り巻く状況、例えば邦画のクリティシズムに関してはどう思われますか?」

ジェイムズ「映画の要約のようなものが多いと思います。批評ではありません」

渡邊「解説のような感じでしょうか?」

ジェイムズ「そうですね。私は90年代にイギリスで育ったのですが『Empire』を熱心に読んでいました。『Empire』は『ジュラシック・パーク』のような超大作映画の特集を組む一方で、ペドロ・アルモドバルの最新作を批評するような雑誌でした。つまりかなり幅広いジャンルを扱っていましたが、映画の知識が豊富な専門家を対象としたものではありませんでした。また、イギリスの新聞はすべて映画評を掲載していて、その書き手が非常に優秀な場合が多かったです」

渡邊「ジェイムズさんがお書きになられている映画評をいくつか拝読しましたが、総評としては手厳しい一方、同時に作品のディテールやコンテクストの深掘りもされていて面白いなと。イギリスは音楽もですが、文化批評の歴史がありますからね」

ジェイムズ「それはイギリスに限ったことではありません。私はアメリカの映画評論家もよく読みますが中には好きな人もいて……」

渡邊「例えばどなたですか? ロジャー・エバートとか?」

ジェイムズ「ああ、そうです。先ほどお話した『Empire』もロジャー・エバートに似たアプローチでした。当時はエバートを読んでいませんでしたが、今になってみると、彼は優れた批評家だったと思います。彼は一般読者向けにも書いていましたが、非常に知識が豊富でうまくバランスをとっていたと思います。最近では『ニューヨークタイムズ』紙のウェスリー・モリスという文化評論家がいますが、彼は『Grantland』というオンライン・マガジンで素晴らしいエッセイ・タイプのレビューを書いていました。私はそこから多くのことを学びました。彼は映画を深く掘り下げて書いているのですが、プレス向けの試写会だけではなく、公開後に劇場で観客と一緒に映画を見ることもあり、とても雰囲気のある記事を書いていました。試写会でしか映画を見ないで、その世界にずっといると感覚が鈍ってしまうかもしれません。その感覚を忘れないようにすることが大切だと思っています。いつか日本の映画評論家の方とお話して、彼らが何を考えているのかを知りたいですね」