ドビュッシーは印象派と呼ばれることに抵抗した。しかし『印象派』と括られる同時代の画家の描くランドスケープが醸し出す空気とドビュッシーのサウンドが想像させる映像を結びつけて新しい表現の到来を時代は祝福した。新しい何事かを予感させる響きの出現はいつも人を惑わせ、言葉はむなしく音楽の縁を徘徊し始める。
制作に三年かかった渡邊琢磨/コンボピアノのオーケストラ作品がリリースされた。構想では三部作を構成する第一作であり、このアルバムがリリースされる頃にはすでに、第二部の何曲かをとり終えているだろうという。作家は遥か昔から、オーケストラの音に思いを寄せていた。
「(オーケストラの)構想は昔からありました。ただいきなり始めるわけにもいかず、弦楽四重奏の習作をつくるなどして、レコーディングの現場で試してきました。コンボピアノの『AGATHA』などは、印象派の書法の勉強という側面もありました。こういう経験があってできたというか、書いたものを実際に現場で鳴らしてみるというのは、例えば鍵盤にストリングスのサンプル音などをアサインしてシュミレーションするような事ともまた違いますね」
クラーヴェが聴こえるリズムセクションとオーケストラが形成する流体のような響きは、彼独自の書法の結果であり、ここでしか聴くことのできない音楽だ。しかし全体の設計はオーケストラ作品としての伝統的な書法との整合性を十分に配慮したものだということが、9作品から聴こえてくる。
「オーケストレーションが正解か不正か、和声的にうまくいっているかどうか、耳で探りながら制作しました。もちろん作曲の結果だけが主要な目的になっている、直感だけを頼りにした部分もありますが、映画音楽などを参考に、書法としてうまくいっているかどうか気にしながら制作しました。僕は今のハリウッドの、SEのようになってしまった映画音楽ではなく、ジェリー・ゴールドスミスや、ジョン・ウィリアムズの、ある意味過渡期の、計画性に基づいた旋律と直感的な抽象性が混成しているような作品にとても共感します。今回ハリウッドの映画音楽史というのは下地として、とても大きな意味があった」
どんな音楽も食べてしまう貪欲な坩堝である映画に丹精なオーケストレーションの伝統を導きだす渡邊琢磨の耳は、伴奏の映画音楽を彼らしいマナーで自律した管弦楽作品として再構築した。それにしても想像のスクリーンに映された彼のオーケストラは、美しく、壮大なフォルムをしていたことに驚くばかりだ。