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もっともピュアのものにポップは宿る

――ここまではみなさんの音楽的な背景について訊いてきましたが、BSSMの音楽は、Orca Shoreがサイケをめざしていたように、やりたいサウンドスタイルを掘り下げていくというよりは、表現したい概念のようなものが先にあって、そこからイメージを膨らませていく際にさまざまな音楽を参照しているという印象です。

翔兵「BSSMを名乗り始めた当初は、Orca Shoreでサイケな世界観を突き詰めすぎた反動もあって、例えばMGMTの“Kids”(2007年)のような、僕的には〈オレンジ色のポップ〉、わかりやすく言うと明快なポップソングが作りたくてチャレンジしていたんです。でもどうしても内省的になったり、ちょっと暗めの曲になったりしちゃうんですよね」

――そこからどう変わっていたのですか?

翔兵「サイケの幻想的なサウンドやガレージの激しさといった特定のスタイルに傾倒せず、ポップな曲を作りたいという気持ちは当時から変わってなくて。ただ無理してオレンジに染めなくてもいいなって」

――では、BSSMにとってのポップとは?

翔兵「長く残るもの。たとえ残らなくても残っていくであろう希望が持てるものですね」

愛由「普遍的なものを作りたいんですけど、同時に〈普遍性ってなんだろう?〉ともよく考えます。〈みんな〉が好きであろう曲や、完全に開かれている曲を狙って作るのとはまた違うと思うし」

翔兵「サイケとかインディーロックといった枠を超えて多くの人に聴いてもらいたいという気持ちはあるんですけど、じゃあ今までやってきたことの外側やヒットチャートを狙って作っているのかというと、そういうわけではないですね。自分を取り巻く喧騒のようなものを取っ払ったところで光り続けている何かを、まずは大切にしたいんです。けっきょくそこから肉付けしていけば、好きな音楽からの影響は自ずと出てくる。要するに発想の初動がピュアであればあるほど、サウンド面でどう展開しても生き残れる力を持った曲になる。それが僕らのよく言う〈ポップネス〉の説明としてはもっとも適切なんじゃないかと」

愛由「私たちにとっての〈ポップネス〉は、作為的にわかりやすいもの、みんなが好きそうなものを探ることとはむしろ逆で、自分のなかにあるもっともピュアな部分、原点に帰っていくことなんだと思います。そのうえでどう表現として昇華するか」

2021年のスタジオライブ映像

 

オープンマインドな両親からの影響

――私は今作を聴いたときに、二人のおっしゃる〈ピュア〉にあたる部分を、〈慈愛〉だと捉えました。お二人の育った環境や岡田さんとの関係性、まさに原点が核として光り続けているようなイメージ。そこで差し支えなければ教えてほしいのですが、お二人はどのような家庭環境で育ったのですか?

愛由「母が借りてきたビートルズがきっかけで音楽をよく聴くようになった話を兄がしましたけど、両親ともに30歳くらいまでミュージカルをやっていて。生活とカルチャーの距離が近い環境で育ったことは、直接的ではないにせよ作品に作用している部分はあると思います。家庭内の雰囲気はとにかくオープン。来客がすごく多くて。いろんな大人の人たちが遊びにくるし、私たちはいないのに小学校の友達がうちでご飯を食べているとか、そんなこともしょっちゅうで」

岡田「二人のお母さんがバンドでスタジオに入るたびに僕のぶんの弁当も作って持ってきてくれたり、いろんな話をしてくれたり、〈友達のお母さん〉という感覚ではないですね。〈息子と娘の友達なら私も友達〉というスタンスで接してくれているような気がします。そしてそんな母親を二人も受け入れている。もはや4人目のメンバーみたいな(笑)」

愛由「確かに、母も含めたチーム感みたいなのはあるかも(笑)」

――お母様のことがすごく気になります(笑)。

翔兵「母はお好み焼き屋さんの娘なんです。でも、そう聞いて想像するような店とはぜんぜん違うんですよ。調理場、飲食スペースのほかにゲームも置いてあるし、中庭もあってその向こうの離れにはレコードプレイヤーがあって。昔はいろんな人が出入りしていたみたいです」

愛由「当時はレコードプレイヤーもレコードも高かったから、誰もが当たり前のように持っているものではなかった時代で。でも母の家はお好み焼き屋さんがまあまあ儲かっていたらしくて(笑)、みんなが聴きにきていたみたいです」

翔兵「とにかく自由。エアロスミスのスティーヴン・タイラーと結婚するんやって、アメリカに渡ったこともある人なので(笑)」

岡田「だから、二人の言う〈ピュア〉や〈ポップネス〉って、僕から見ると家庭環境からの影響がすごく大きいと思います」