スペクトラムの1980年の曲“F・L・Y”が、TikTok経由でバズっている。海外で話題になったこの現象は、日本に逆輸入され再評価の機運が高まりつつある。そこで今回は、〈Light Mellow〉シリーズで知られる音楽ライター金澤寿和によるバンドのキャリアや音楽的魅力の解説を通じてリバイバルの理由に迫る。なおスペクトラムのアルバムは、SACDハイブリッド盤がタワーレコード限定で販売中。ぜひ併せてチェックしてほしい。 *Mikiki編集部
短くも華々しい活躍をした伝説的ブラスロックバンド
今年に入って俄かにスペクトラムが脚光を浴びている。彼らは1979年から2年間活動していた、伝説的ブラスロックバンド。
既報のように、その代表曲のひとつである“F・L・Y”が、2〜3月あたりからSpotifyの各国バイラルチャートにランクイン。この曲を使用したTikTokの動画総再生回数は、その時点で何と13億回を数えたという。事の起こりは、日本のアニメやゲームを紹介している米国人インフルエンサーが、自分のポストに“F・L・Y”を使ったため。それが急速に拡散して、こうした事態に発展したらしい。
スペクトラムは3管(2トランペット+トロンボーン)をフロントに据えたセッションミュージシャン集団で、1979年に7人組でデビュー。直後にパーカッションを追加し8人組とする一方、矢継ぎ早に5枚のアルバムをリリース。早くも1981年には日本武道館で解散コンサートをブチ上げ、最後にそのライブアルバムを発表するという、短くも華々しい活躍を遂げた。
セッションミュージシャンとして超一流の実力を誇りながら、同時にエンターテイメント性を追求。中世の騎士をイメージさせる甲冑や鎧兜を纏い、ハイスキルの演奏を繰り広げながら激しいステージアクションを披露したのである。トランペットやベースをクルクル回転させる雄姿は、ライブパフォーマンスのひとつの見どころだったはず。
こうしたバンドコンセプトは、センターでトランペットとボーカルを務めていたリーダー:新田一郎に拠る所が大きい。そしてそのアイディアを具現化し、TVやCM出演といった巧みなメディア戦略でその存在を広く伝播させた黒幕がアミューズ。サザンオールスターズや福山雅治を育てた大手音楽事務所として知られるが、実はスペクトラムはアミューズ第1号専属アーティストだったのだ。
狙いすました総合エンタメプロジェクト
でもコレらは、あくまで当時の日本の音楽シーンに打って出た時の裏事情。いまスペクトラムが世界的ヒットになっているのは、純粋に彼らの音楽的魅力、カッコ良さが、インターネットやSNSで広まったのが理由である。
そのサウンドの原点は、シカゴやチェイスに感化されてロックバンドを組んだハイノートヒッター新田と、ジャズコンボ出身ながら柔軟性を併せ持ったもう一人のトランペット奏者:兼崎“ドンペイ”順一が、アイドル歌手のバックバンドで出会ったことに始まった。間もなく2人はキャンディーズのバックバンドMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)で活躍し始めるが、早々にそこから独立。サックスを加え、日本初のホーンユニット〈ホーン・スペクトラム〉を結成し、スタジオシーンやライブステージで引く手数多の存在となった。米国ではザ・ブレッカー・ブラザーズやタワー・オブ・パワー、ザ・メンフィス・ホーンズあたりが現れ、広く活躍し始めた時代である。
でもそうした活動の中から、彼らの脳裏にホーンを中心とした新たなグループ構想が浮上。アース・ウィンド&ファイアーやパーラメントらの影響をベースに、音楽性や演奏スキルはもちろん、コスチュームやライブパフォ―マンスに対する考え方が一致するミュージシャンたちが集められた。ホーン・スペクトラムがスペクトラムへと進化した時、ホーンユニットには珍しくサックス不在となるが、これも2人のコンセプトに賛同した吉田俊之が、たまたまトロンボーン奏者だっただけ。それだけガチガチに狙いすました、総合エンターテイメントプロジェクトだったのだ。