《三文オペラ》初演の1928年からもうすこしで100年、ヴァイルの移動の物語

大田美佐子 『クルト・ヴァイルの世界 実験的オペラからミュージカルへ』 岩波書店(2022)

 ドイツからフランスを経由してアメリカ合衆国へ。20世紀前半とかさなるクルト・ヴァイルによる移動の物語。「クルト・ヴァイルの世界」――ヴァイルの世界はひとつだ、複数ではなく。そこが本書だ。

 ふたつの世界を繋ぐことで生まれる「豊かさ」は存在しないのだろうか。たとえば、いくつもの時代を繋いだモーツァルトの存在のように。(…)一般的な「気まぐれな天才像」の本質に、ゆるぎない「ゲシュタルト」としての音楽のかたちをみたのは、ブゾーニだけではなかった。(第2章)

 全体が二つに分けられてはいる。変化がないわけじゃない。いや、たしかにあるんだが、単純に分かれるものではないのだよ、と。ヴァイルじしんの姿勢を丁寧にたどるから、フィジカルな意味で、ドイツにいたときとそれ以降とが。音楽だけ、音符だけではなく、テクストと音符(たち)、まわりのことども、ことばと社会とをみながらの作業。しかも楽譜はつかわずに。

 ソングの音と言葉が織りなす物語性は際立っている。ソングそのものがもつ社会批判的な内容と、演技者と「歌」との関係性において、ヴァイルとブレヒトの「ソング」は、「歌」という言葉では翻訳しきれない特別な立ち位置をもった。以後のブレヒトとの共作においても、あるいはブレヒト以外と組んだアメリカの作品においても、こうした「ソング」の根本的な理念は継承される。その基礎となった形式が《マハゴニー》のソング劇であった。(第3章)

 本がひとつの舞台とすれば、大田美佐子はときどき、ぱっ、とヴァイルじしんの文章を引き、聴衆(読者)に、あ、そうなの?!と驚かし、納得させる。同時代の批評も。著者はここで演出家であると同時に興行師だ。

 《三文オペラ》初演は1928年。100年までそんなにない。あのきな臭い時代を興行師は、本というかたちで喚起せんとする? 願わくば、本書が、しばしば舞台にかかる《三文オペラ》も、歌われるヴァイルのソングたちも、その意味とはたらきを十全に発揮できますように。