アンドレア・バッケッティがファツィオーリの現代ピアノで弾くJ・S・バッハやスカルラッティ、マルチェッロ、ガルッピの作品集(ソニー)のレヴューを『intoxicate』に書く際、「何と饒舌で快活、よく歌う演奏なのだろう」と驚いた。ついに、本人と東京・銀座ヤマハのアーティストルームで話す機会を得た。機関銃のように喋り、隙さえあれば席をたってピアノで説明する姿はCDの印象と見事に一致していた。
「そんなにヤマハのCF−Xを高く評価し、ベリオ作品集の録音にも使ったのに、バッハはなぜ、ファツィオーリで弾く?」と、声をかけた。「ファツィオーリは音色が華麗な半面、音量は小さく、バロック以前のレパートリーに適しているから。ロマン派以降には使わない」。答えは簡潔だった。今年7月末にはトリノでイタリア放送(RAI)交響楽団とJ・S・バッハの協奏曲集を録音するが、モダン楽器のアンサンブルとの音量バランスを考慮して、RAI備え付けのスタインウェーを使うという。指揮を兼ねた“弾き振り”なのでオーケストラのフレージング、アーティキュレーションなどの様式管理にも責任を持つ。「アーノンクール以降の古楽系指揮者が音楽学を究め、厳格に整えた様式をいったん離れ、エドウィン・フィッシャーやカール・リヒターが活躍した1950~60年代の全人格的で“大らかな音”に自分は立ち返りたい」。バッケッティの方向性は明快だ。
「バッハの鍵盤音楽の再評価に関しては20世紀初頭のランドフスカ、ドルメッチ、ブゾーニらの功績が大きい。その時期、チェンバロのピリオド楽器は忘れられたままだし、モダンピアノは現代ほどメカニックが完成していなかったために“ピアノで弾くバッハ”に対し、非常に曖昧な論争が起きてしまったのではないか?」。今度は私から、問題を提起した。
バッケッティは「自分もいつも、そう思ってきた」といい、機関銃が加速する。「あの天才モーツァルトですら、バッハの編曲に挑んだ末に『あのレベル以上のフーガは書けない』と漏らした。バッハ作品は時代を超え、現代に通じる。鍵盤楽器の進歩の究極形といえる今のピアノを駆使し、チェンバロ以来の演奏様式も頭に入れた上で再現することこそ、現代の演奏家の課題」と自覚する。さらに「バッハが決めた和声の制約にいかに毎回、新鮮な響きを与えるかが自身の解釈の領分」とした上で、「2声を3声のように響かせることができる真ん中のペダル(ソステヌート・ペダル)の役割は重要だ」と指摘、シフやトリスターノら“ペダルを使わないバッハ弾き”とは異なる立ち位置を明確にした。