
幼い頃から情熱的な曲を好んでいた
――クラシックのキャリアに関して、学習の環境を訊かせて頂けますか。
「バイオリンの演奏をスタートさせたのは4歳なんですが、先生も両親も厳しかったので、楽しいと思ったことは、幼少期一度もなく、物心ついた時にはずーっとバイオリンと一緒にいた、みたいな感じですね。
小学校の途中から大谷康子先生に習うようになり、その時は頑張ったら自分の弾きたい曲がそれなりに弾けるようになりました。腱鞘炎になるぐらい一生懸命練習した時期がありましたが、中学に入って反抗期もあって、一度辞めたいと大谷先生に言ったんですね。その時、〈練習が嫌い、練習曲が好きじゃない〉って正直に話したら、〈じゃあ好きな曲だけだったら弾いてられるの? 一度やめたら絶対にもう始めないから、嫌いじゃないんだったら続けなさい〉と言われ、甘やかしてもらいました(笑)。
同じ頃に、親戚の結婚式で演奏して、周りが喜んでくれたり褒められたりするという経験を初めてして、ああいう喜びの場所で演奏して人を喜ばせることができたらいいなと思い、音大に行くことを決めました」
――今、牧山さんの代表曲や演奏はとても情熱的なイメージがあるのですが、クラシックをやっていた頃から、その片鱗はあったんですか?
「ありました。小学生の時に、ラロの“スペイン交響曲”をどうしても弾きたかったし、バルトークの“ルーマニアン・ダンス”や、チャイコフスキーの“バイオリン・コンチェルト”も。メロウに聞かせるとか、モーツァルトを軽やかに弾きたいとかでなく、激しくて情熱的、技巧的な曲を、小さい頃から好んでいましたね」
小澤征爾の心強い言葉「バイオリンで二つのことを学ぶのは間違ってない」
――ジャズに転向する時、クラシックの先生から怒られませんでしたか?
「音大時代はまだジャズに出会ってなかったんですよ。音大卒業後、フランスでクラシックを学んでいる時に、イツァーク・パールマン(とオスカー・ピーターソン)の『Side By Side』(94年)を聴いて、〈これがジャズなんだ、面白そう〉と思いました。
クラシックでは常に先生について学んでいて、独学するということが想像できなかったから、アメリカのバークリー音楽大学でジャズを学べると知って、そこに入りました」
――バークリーでの体験はどんなものでしたか?
「即興と言われても本当に何も弾けなかったのに、譜面はかなり読めたから、アンサンブルのレベル分けテストでかなり出来る人たちと同じクラスに入れられて、苦労しました(笑)。
また、バークリー留学時代、小澤征爾さんに可愛がって頂いて、小澤さんの紹介で、ボストン・シンフォニー(・オーケストラ)や、ニュー・イングランド・コンサバトリーの一流のクラシックの先生も紹介して頂いたりして、クラシックとジャズのレッスンを並行していました。
小澤さんが、〈ボストン・シンフォニーは、冬はクラシックだけども、夏はボストン・ポップス(・オーケストラ)でジャズも演奏するから、バイオリンで二つのことを学ぶことは、絶対に間違ってない〉って言ってくれたから、すごく強い心の味方になって下さいました」