アフロ・マニエリスムが抉り出す米国黒人の精神史
後藤護という著者名と『黒人音楽史』なるあまりにも正統というか不敵というかスタテッィクなタイトルの組み合わせにまずは笑い、トキメイたのである。「ゴシック」をキーワードにアクロバティック(時に牽強付会)な論考を繰り広げた3年前の初単著『ゴシック・カルチャー入門』よって後藤の名は私の中に深く刻まれた。後書きで「批評とはアートなのだと高山宏から教わり、エンターテインメントであると平岡正明から教わり、そしてパトスなのだとグリール・マーカスから教わった」と述べているが、まさしく、美学と笑いと情熱の三位一体化こそが後藤の思考と執筆の源泉であり肝であることを、本書では改めて確認できる。
〈驚異と奇想〉をキーワードに著者が挑んだのは、「知性と言語が過剰にあふれた、怪物的で驚異的な」もうひとつの米国黒人音楽史である。「ブルースの伝統に属するニグロゴシックにして悪魔崇拝の自由黒人」を自称する謎多き暗黒音楽家M.ラマーなどを引き合いに出しつつ、元々は死や血や恐怖のイメージと密接につながっていた黒人霊歌の本質を問う第1章で幕を開け、アルバート・アイラーの霊性、無の思想家にして土星詩人サン・ラー、道化師としてのジョージ・クリントンなどを具に解剖/検証。そして終盤、テクノロジー(サンプリングから言語まで)を切り口にしたアフロ・フューチャリズムとしてのヒップホップへ着地するという流れ。DJクール・ハークからマーリー・マール、アフリカ・バンバータ、パブリック・エナミー、エリックB & ラキム、ドクター・ドレ、ケンドリック・ラマー、ウータン・クラン/RZAと展開してゆく論考の中でラメルジーのことやネイション・オブ・イスラムから分派した秘密結社ファイヴ・パーセンターズにまでちゃんと言及するあたりも抜かりない。字数が許すなら、この最終章はもっと膨らませても良かったかもしれない。あと、個人的に最も面白く、この著者ならではだと唸らされたのが、動物/虫(鯰、蜘蛛、害虫など)との親和性の中でブルースのアニミズムに光を当てた第2章(「鳥獣戯画」ブルース)だ。「ほんとかよ!」と電車の中で思わず声を出して笑ってしまった。
一貫して〈マニエリスム=断片化した世界の再統合〉の視点のみで駆け抜けた、米黒人の文化/精神史。からめ手だからこそ見えるものが確かにある。