人を繋ぐ、CDの使い方のうわさ話。

Betts(JP) 『Rumor』 (2023)

 岡山県に住んで、レストランのような喫茶店のようなバーを営む、政治家の知人から手紙が届く。開封するとBetts(JP)というアンビエント・ミュージックのアーティストによる最新作『Rumor』が、近況を伝える手紙や事務所開きのお知らせとともに出てきた。永らく人から手紙をいただくこともなかったが、知人からCDが送られてくるなんてことは10年来の珍事だった。ディスクをプレイヤーに載せてアルバムを挟んでいた小冊子を手に取って読む。長島という瀬戸内の小島でフィールドレコーディングした時のこと、タイトルのこと、制作意図をモノクロの写真とともに淡々と書き綴った文章を読む。〈「うわさとは人と人との間を流れる液体」のような現象であると認識している〉、とある。彼はうわさはどこからか、必ず漏れてしまう液体のようだと言いたいようだ。

 八月、九月、十一月、そして十二月に断続的に島内で行った録音には、島内に設置されたスピーカーから流れるラジオの音、生き物の鳴き声、自動車などが混じっていた生活音だったそうだ。島には人の姿はなかったが〈生活の様子〉はあったという。形式だけが残された島の風景にはどのような空虚が満ちていたのか。そのときの印象が島の音をベースにした音楽を構成したのだろう。10分に満たない、2秒かけた9分58秒がすべての作品のピリオドとなる。レベッカ・ブラウンの小説「私たちがやったこと」を原文と合わせて読んだ時、訳者の柴田元幸がCadenceを、確か(音楽の)行き方(感じ方だっただろうか?)と訳していたこと思い出した。通常、終止形と訳されているのだが、この訳語に出会って私の音楽観は劇的に変わった。まるで4分33秒間の具体音を切り取るジョン・ケージの作品のようだが、9分58秒はBetts(JP)の、作品の唯一明かされたアーキテクチャーで、つまりケーデンスだ。

 島を訪れた理由は聞きつけた島のうわさ、歴史だったとライナーに記されている。それがどんなうわさなのかは示されないが、真実がフィクションに掠め取られてしまう困難な季節にいるんだという、確かな噂をこの音と写真、テキストから聞いたと感じた。

 


RELEASE INFORMATION
CD+ブックレットは岡山県瀬戸内市邑久町にある国立ハンセン病療養所〈長島愛生園〉に常設されている〈喫茶さざなみハウス(@sazanami_ensemble)〉にて販売しています。
詳細は、https://betts-jp.tokyo/releases/rumor/