
ゲリラライブでやりたい放題
――『Baby a Go Go』のリリース日は9月27日ですが、当初から決まっていたんですか?
「いえ、当初は7月29日の横浜アリーナ公演に合わせてリリースして、フェスツアーをやり、9月1、2、8、9日に〈4 SUMMER NITES〉をやる予定でした。ところが、レコーディングが難航して、9月になってしまったんです」
――そうだったんですね。
「90年1月15日の成人の日に表参道や渋谷、新宿などでハイエースの屋根の上にカラオケ機材を乗せて、僕がメイクをして衣装を着て〈RC、20周年おめでとう! 成人のみんなもおめでとう!〉というフライヤーを撒いたんです。前年のTHE TIMERSからの流れもあって、若い子たちが〈わー!〉と盛り上がり、僕が“雨あがりの夜空に”を歌いました(笑)」
――高橋さんが歌ったんですか(笑)。
「その様子を、近藤さんが買ったばかりのビデオカメラで撮ったんです。それを清志郎さんに見せたら、〈俺もやりたい!〉と言い出して(笑)。
それと、音楽評論家の今井智子さんから〈名古屋のテレビ局で番組を始めるからコメントをください〉と頼まれて、ただコメントするだけじゃ面白くないからと、清志郎さんが有楽町でゲリラライブをしたんですよ。当時はメイクをしなければわからなかったので、帽子を被ってサングラスをして、よく履いていたウエスタンブーツでギターを持って。
それが、すごく面白かったんですね。お客さんがいっぱいいて用意された大きなステージではなく、衣装も着ずに自分を知らない人たちがいる場所でやったら、どれだけの人が足を止めて自分の歌を聴いてくれるだろうかと。ただ、みんな、途中からなんとなく〈清志郎かな?〉と気づき始めるんですけど(笑)。清志郎さんは、〈チャボにもやらせてあげたかったな。喜ぶと思うよ〉と終わった後に話していましたね。
予定調和じゃないところでやりたい、ウケなかったらすぐ引っ込んで、ウケたら何時間でもやっていい、という感じでした。その日も本当は1、2曲で終わるはずが、楽しかったみたいで30分くらいやったんです」
――なるほど。
「それをまたやりたい、“あふれる熱い涙”をやろうと。すごい緊張感でしたね。途中で警察に逮捕されたら事件になってしまうし、事務所の方たちも嫌がって反対していました。でも、本人がやりたいからとやることになって。
東芝のスタッフがガードに回って問題ないかと思っていたら、清志郎さんがそのガードを飛び越えちゃった(笑)。お店の中や、みんなが気づいて〈わー!〉となっているところに入って行っちゃったり(笑)。僕たちも初めてだったので、パニック寸前でした。見ていた人たちが清志郎さんに着いてきて行列が出来て、デモのパレードみたいになっちゃったんですよ。
渋谷でやった時は火曜日の夕方6時くらいだったので、(人の多さが)ピークのタイミングでした。その時も〈2、3曲でやめてください〉という話だったんですけど、30分くらいやっちゃった。人だかりになって、これ以上やると逮捕されるという時に走って逃げました」
――音楽雑誌で読んだ記憶があります。
「『ROCKIN’ON JAPAN』に載ったんです。そして、中曾根(純也)本部長が、誰かが逮捕された時のために待機していたんですね。後で聞いたら、〈清志郎さんは絶対逃がせ。逮捕させるとしたら高橋かな。同じような格好をしているから、お巡りさんが見たらわからないだろう〉と言っていました(笑)」
――前年のTHE TIMERSに続き、高橋さんはそういう役回りが多いですね(笑)。
「僕は普段からメイクをして、電飾を付けてプロモーションしていたんですよ。ゲリラライブ撮影の時は目立っちゃうのでさすがにしなかったんですけど、服は派手なものしか持っていなかったので、一番地味な服で行ったのですが派手だったという(笑)。近くにいる僕が清志郎さんっぽい服を着ているから、バレちゃうんです」

お前の歌を作ったよ
――『Baby a Go Go』で新井田さんが叩いているのは、“あふれる熱い涙”と“Hungry”。この2曲は、レコーディングの初期段階で録られたものと考えていいんですか?
「そうですね。“あふれる熱い涙”は初期段階で一番の軸でした」
――話が逸れますが、HISの“500マイル”のセッション音源が『sings soul ballads』(2011年)にボーナストラックとして入っています。同じ時期の録音ですか?
「同じです。清志郎さんがゲリラライブでやったんですよ。ただ、英語じゃなかったと思うのですが……。『COVERS』以降は新たに日本語詞を付けるのがスタンダードになっていたので、英語は珍しいですね」
――想定していたアルバムの方向性は、どんなものだったのでしょうか?
「清志郎さんから〈話したいことがあるんだけど、時間ないかな?〉と電話があって。珍しくキャピトル東急の1階にあるORIGAMIというレストランで、清志郎さんと当時の事務所の社長と近藤さんと僕で会いました。〈実はG2が辞めることになった。これから長野に行って話をしてくるけど、行く前に話しておきたかったんだ。アルバムのレコーディングはG2抜きでやろうと思っている〉と言うんです。
それで、〈どんなアルバムにしてほしい? 20周年だから、近藤と高橋の思いも聞かせてほしい〉と言われたんですよ。近藤さんは〈(ビートルズの)『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』みたいなアルバムがいい〉と言って、僕は〈さすがだな〉と思ったんですね。〈レコードはビートルズのように、ライブは(ローリング・)ストーンズのようにやろうぜ〉というのは、RCが5人になった時に清志郎さんとチャボさんがいつも話していたことだったので。
僕は、〈(ローリング・ストーンズの)『Sticky Fingers』みたいなアルバムがいい〉と言ったんです。G2が抜けて4人になったら、ギターバンドになる。“雨あがりの夜空に”や“ブン・ブン・ブン”のようなギターリフがあって清志郎さんのボーカルがガツンとのる曲が好きだったので。〈どうして?〉と清志郎さんに聞かれて、〈“Brown Sugar”のような次のRCを表す象徴的な曲が1曲目にあるアルバムがいい〉と話しました。〈RCがこの時代、今のタイミングにしかできないロック。これから10、20年、もっと先までバトンが渡されるアルバムにしてほしい〉と。
その話をメンバーにしたかはわかりませんが、その後、4人で、東芝のスタジオ・テラで一気に30〜40曲録ったと思います」
――そんなに!?
「はい。雑誌の表紙企画があったので、僕もしょっちゅうスタジオへ打ち合わせに行っていました。先輩でもあるディレクターの熊谷(陽)さんが〈自分は行けないから、どうせ行くなら(レコーディングに)立ち会って〉と頼むんです。それで、コントロールルームじゃなくブースの中で見せてくれて、自分一人のためにライブをやってくれているようで嬉しかったですね」
――最終的に残った曲はありましたか?
「“ヒロイン”や“I LIKE YOU”はやっていたんじゃないかな」
――後に『Baby #1』(2010年)になった88年のLAセッションですでに演奏されていた2曲ですね。
「世に出ていませんが、僕はLAセッションのテープがすごく好きで、ずっと聴いていましたが、2曲とも全然違う感じでした。『Baby #1』は後にダビングしているのでまったく違う感じなのですが、元のセッションは小原礼さんがプロデューサーで、すごくダイナミックなロックンロールなんです。
“I LIKE YOU”には、たしかスライドギターが入っていましたね。小原さんに聞いたら、全部オープンチューニングでやったと言っていました。清志郎さんも、〈自分がギターを弾こうとすると、小原が全部オープンチューニングにしちゃうんだ〉と言っていて(笑)」
――その段階では、『Sticky Fingers』のような雰囲気はあったんですか?
「“I LIKE YOU”は、リバプールサウンドの完成形に近かったです。“ヒロイン”は、(ローリング・ストーンズの)“Let It Bleed”のような大きなリズムでやる感じでした。
その時期、“忠実な犬(Doggy)”も作っていて、ゲリラライブのことが歌詞に入っているんです。〈お前の歌を作ったよ〉と清志郎さんに言われました(笑)。
当時、僕は夏でもブーツを履いて、長いタバコを吸っていたんです。女友達と映画に行った話も清志郎さんにしました。僕は毎日忙しかったので、映画に遅れちゃったんです。当然彼女だけ先に入って、僕はポップコーンを食べながらロビーで待っていた、それが心地悪くもなくてよかったという話をしたら、それが歌詞になったんです(笑)。
その時、清志郎さんが〈退屈というのは、本当は辛いんだよ。俺はアルバイトを一回だけやったことがあって、サンドイッチマンのバイトだったんだけど、すごく辛かった〉とも言っていて、それで〈サンドイッチマン〉という言葉もあるんです」
――渋谷を舞台にした歌詞ですよね。
「それと、(当時、東芝EMIの統括本部長だった)石坂敬一さんは洋楽出身で、当時の東芝は邦楽作品も洋楽のスタイルで展開した初の会社でした。制作は全部アーティストがやり、宣伝はA&Rの役目でレコード会社の顔としてアーティストと共にどうやって世に打ち出すかをプランニングし、実行していく、という。制作担当はアーティストが作るものの補助で、宣伝担当はアーティストのイメージを作って、それをメディアに売り込みに行って、実際にブッキングして大きくしていく。それと、アーティストや事務所に言えない取引もある(笑)。
そういうことを清志郎さんに話したことがあって、それで〈何を取り引きしたの?〉というラインがあるんです(笑)」
――なるほど(笑)!
「〈高橋はマスコミにガンガン売り込んでるから、アーティストをプッシュするって意味で、『プッシャー』だな〉と言うんです(笑)。それで、清志郎さんに〈こっちはこういう風にやろうとしたら、相手が『いや、ウチとしてはこういう風にしたい』と言ってくるので、こっちのイメージと向こうのイメージを合わせて新しい打ち出し方を作っていくんです〉という話をしたら、〈取引してるな〉と(笑)」