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クラリネット専攻から歌の追求に向かった菅野咲花

――菅野さんはシンガーとして活動していますが、高校時代はクラリネットを専攻していて、今回のharuyoiのアルバムでも少し演奏していますよね。音楽活動はどのような経緯で始めたのでしょうか?

菅野咲花「私も親がすごい音楽好きだったので、小さい頃からロックやR&B、ジャズ、レゲエあたりを聴いて育ちました。父も母も楽器をやっていて、家族バンドのような形で歌うこともありました。あとは習い事でピアノをやったり、小学校の金管バンドでパーカッションをやったり。

高校はクラリネット専攻で受験して、入学してからは梅井さんと、あとピアノ/サックス奏者の石井ひなたくんの影響でセッションに行き始めて」

――セッションもクラリネットで?

菅野「いや、歌で参加していました。セッションでクラリネットの演奏をすることはほとんどなかったです。楽器でアドリブを取ることにはあまり魅力を感じていなくて、歌うことがずっと自分の中に核としてあったというか」

――すると、なぜクラリネット専攻で高校に進学したのでしょうか?

菅野「実は特にクラリネット奏者になりたいという強い志はなくて、勉強せずに音楽ができるという噂を聞いて受験したのが本音です(笑)。クラリネットを吹いていて、自分の演奏にも自信があったので、最初はすごく軽い気持ちで。もちろんクラシックに興味がなかったわけではないですけど、高校に入学する前はそこまで聴いてはいませんでした。

高校時代にいろんなセッションに遊びに行っていたら、東京のミュージシャンが神戸に来るイベントがあって、それにほぼ皆勤賞で参加したんです。そこで、MELRAWこと安藤康平さんとか、石若駿さん、ピアニストでキーボード奏者の渡辺翔太さん等々を知って、こんな音楽ができる人たちがいるんだと衝撃を受けて。

それまでは高校を卒業したらクラリネットで進学すればいいかとぼんやり考えていましたけど、私がやりたいことは違う、やっぱりシンガーになりたいと思い、高校を卒業するタイミングで歌に絞って活動するようになりました」

――当時はどんなシンガーが好きでしたか?

菅野「その頃はジャズの即興的に編み出されるアンサンブルから影響を受けていて、歌手で言うと、ジャズセッションでエラ・フィッツジェラルドのように歌ってみたり、R&Bのセッションでアリシア・キーズの曲を歌ったりしていました。けど、誰かのように歌ってみたところで、自分は絶対にその人にはなれないわけで、だんだん違うなと思うようになって。

そんな中で一昨年の頭に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)を観て、初めてビョークをちゃんと聴いたんです。〈なんだこれは!〉とかなり衝撃で。そこから、ermhoiさんや沖メイさんなど、日本でも一人で音楽を作っているアーティストをあらためて聴いていって、自分でも個人で制作を始めるようになりました。

子供の頃はEGO-WRAPPIN’や椎名林檎が好きでめっちゃ聴いていたんですけど、今の自分がシンガーとして影響を受けたアーティストで言うと、ビョークと、ジャズボーカリストのグレッチェン・パーラト、あとハイエイタス・カイヨーテのネイ・パーム。日本の方だとモノンクルの吉田沙良さんとCRCK/LCKSのメンバーでもある小田朋美さんがすごく好きですね」

 

交わることがなかった2人

――お2人はいつ頃、どういうきっかけで知り合ったのでしょうか?

梅井「もともと中学校から一緒で、家も近所でした。でも中学で同じクラスになったことはなくて、菅野さんは吹奏楽部で私は帰宅部。交わる機会はほとんどなかったんです」

菅野「学校の行事で山登りに行った時に一瞬ちらっと話して。梅井さんはすでに音楽活動をしていて賞を取ってるすごいピアニストという認識だったんですけど、〈どういう音楽聴くの?〉みたいな会話になって、EGO-WRAPPIN’で盛り上がりました。当時EGO-WRAPPIN’を知ってる同級生は誰もいなかったんです。ちゃんと喋ったのはそれが最初ですね」

――中学は同じでも一緒にバンドを組んだりしていたわけではなかったんですね。

梅井「全然そんな感じではなかったです(笑)」

菅野「高校受験の時すら気まずかった(笑)」

梅井「そうそう(笑)。同じ兵庫県立西宮高校に進学したんです。県内で唯一音楽科のある公立学校で、彼女はクラリネット専攻、私は作曲専攻。クラス替えがないので3年間ずっと一緒でした。ものすごくハードな学校だったな……」

菅野「そもそも通学に1時間40分ぐらいかかるという」

梅井「私たちは加古川市に住んでいたので、高校があった西宮は大阪のすぐ近くで、いろんなところに出やすい場所でした。大阪にセッションに行ったり、帰りに神戸に寄ったり」

菅野「梅井さんとは最寄駅が同じだし、通学手段が全く一緒だったんですよ。それで徐々に喋るようになって、高校2年生の時にクラシックの曲でクラリネットの伴奏をお願いするようになりました。

その後、3年生の時に卒業記念ライブをやろうということになって、そこで初めて歌とピアノで組んで」

梅井「神戸の小さなバーで演奏したんですけど、その時は全部カバーでした」

――どんな曲ですか?

菅野「『カルテット』というドラマの主題歌で、椎名林檎作曲の“おとなの掟”。あとクラクラ(CRCK/LCKS)の“KISS”と、グレッチェン・パーラトの“How We Love”もやりました。他にもいろいろやったような」

梅井「普段から〈この曲いいよね〉みたいなことはなんとなく共有していたので、わりとすんなり取り上げる曲は決まった記憶があります。

それで、せっかくだしオリジナル曲も作ろうという話になって、一緒に作ったのがharuyoiの最初の曲でした」