バンドを背負っていくより新しい仲間と戦いの場を作ってきた
――かつてコーラスを務めた高橋ジャッキー香代子さんへ捧げた“ジャッキーレディ”には、レコーディングやライブで活動を共にする仲間への想いが凝縮されているように聴こえます。
「そうですね。ただ、これまでいろんなバンドの変遷があって活動してきましたけれども、僕はバンドに対する情愛とか、愛の深さみたいなものが、必ずしも彼らに届いてるかどうかは疑問です。
やっぱりこういう時代になって、日本の音楽の座組が、スケジュールスケジュール、〈こっちに行ったらあっち、あっちに行ったらこっち〉っていうようなことになってくると、ファミリー感みたいなものはどんどん欠落していくんですね。だから、バンドリーダーはとても大変だと思います。バンドを何年も背負って活躍していらっしゃる若いバンドの連中なんかは、本当に揉めごとも多いんだろうなって。
だからクリエイションのみならず、裏側の部分での人間的な繋がりをどうやって構築していくかっていうところで心血を注ぐ方が、歌を作ることよりもすごく大変なんですよ。それでも何年も同じバンドを牽引していく仲間たちが集まって支え合っていくのは、〈若者に刺さったよな〉とか、〈今日リアクションあったよな〉っていうのが共通言語になると思います。
ただ楽しいだけじゃなくて、そこにある種の彼らの生き方のメッセージ性が含まれていなければ、多分長くは続かないです。だから僕はバンドという所帯を背負っていくというよりも、その都度新しい仲間たちとの出会いを求めて戦いの場を作ってきました。〈まあ3年ぐらい持てばいいかな〉ぐらいの結構寂しいこともありましたけど(笑)。
そういう意味で言うと、今のバンドの基本的な4リズムの連中っていうのは、ちょっと運命的な出会いをしたのかなと思っています」
〈ファミリー〉という言葉は容易にバンドに使わない
――ツアーメンバーの方々も、それぞれご活躍されていますよね。
「みなさん一国一城の主ですから、なかなかこちらのわがままも通らず、彼らのスケジュールに僕が合わせてみたり(笑)。その辺のいわゆる大人の事情みたいなものはすごくあるんです。
ただ、僕らの中に安定したものっていうのは一切ないんです。みんな、安定したいんだけど安定しないんですよ。収入の側面からも、自分のクリエイションの心の開放の仕方もです。だからやっぱり僕にとどまらずいろんな現場を変遷しているんですけど、その中で銭のために動く連中というのは、全部自然淘汰されます。銭も大事だけれども、やっぱり心が動くこと、衝動的に〈こいつの想いと一緒にその気になってみんなで戦っていこうぜ〉というような、エモーショナルなものがない人間とは、残念ながら戦えないですね。
自分はそういったことをずっと変遷してきました。なので、〈ファミリー〉という言葉は容易にバンドには使わないです。そこは気をつけなきゃいけないと思いますよ。〈俺はお前とファミリーだから、ファミリーだったら親がここまでしてくれるだろう〉みたいな錯覚みたいなのものに陥っちゃうんで」
――そういうことでプレイヤーに依存心みたいなものが生まれてしまう?
「いや、依存というものは一切ないんですよ。やっぱり大人としてのお付き合いをしていきますから。或いは男としての付き合いとか、いっぱしの1人のミュージシャンとしての付き合いをしていくので。
僕はどっちかっていうと言及型になっちゃう方なので、それをしっかり受け止めて、根底に〈俺もそうだよな〉という何かしら思想の共有を持たないとなかなか戦えないですね。嘘はやっぱりお客さんにばれるし、〈仲間が一体となった〉みたいな嘘、虚の世界をまるでまことしやかな真実としてステージをやってきた時代もありましたけど、やっぱり無理をしていて、僕は倒れちゃいましたから」