5年3か月ぶりとなるオリジナル・アルバム『BLACK TRAIN』。鍛え抜いた肉体と精神あってのタフなサウンドとメッセージ、そして愛を乗せ、汽笛がいま鳴り響く!
それでもおまえは、生き切れるのか?
長渕剛から前作『Stay Alive』以来、約5年3か月ぶりとなるオリジナル・アルバム『BLACK TRAIN』が届けられた。ベスト・アルバム『ALL TIME BEST 2014』のリリース、富士山麓に10万人を集めたオールナイト・ライヴ、そして、昨年のFNS歌謡祭における“乾杯”の衝撃的なパフォーマンスなど、その強烈な存在感を提示し続けている長渕。先行配信リリースされた“Loser”“Black Train”を含む本作にも、社会に向けて鋭利なメッセージを放つロック・ナンバーから普遍的な愛の在り方を歌ったバラードまで、〈これぞ長渕!〉と快哉を叫びたくなる新曲が収められている。「表現者は衝動がすべて」と言い切る長渕剛。壮大なスケールと繊細な心象風景を行き来するような彼の音楽表現は、ここにきてさらに研ぎ澄まされているようだ。
――制作に入ったときにはどんなテーマがあったんですか?
「テーマやコンセプトは後から理屈がくっつくようなもの。表現者は衝動がすべてです。歌いたいこと、叫びたいことが先にあるんです。大学ノートに歌詞を書き殴っているんですが、それが溜まって、もう我慢できないというときにリリースする。それがたまたま5年何か月ぶりだったということです」
――1曲目はアルバムのタイトルにもなっている“Black Train”。権威に屈服することなく生きようとする人間の姿が描かれていますが、この曲がアルバムの軸になっているんでしょうか?
「そうですね。俺はあんなふうになりたくねえよ!――ということを歌っている。われわれは〈国〉という得体の知れないもののなかにいる。僕自身は自由になりたくてギターを手にしたんだけども、自由じゃない気がする。しかも〈不自由〉というカテゴリーを超えようとすれば、今度は世間が叩いてくる。〈それでもおまえは、生き切れるのか?〉という自問自答の旅ですね、表現するというのは。自分の言葉を矢にして放てば〈これはいいよ!〉という人もいれば〈この野郎!〉という人もいる。それがおもしろい。〈来いよ! やるならやってみろ!〉と思ってやっているし、そういう挑み方が表現のなかにないとつまらない」
――リスナーとぶつかり合うことが必要だと。
「リスナーというより、評価や寸評、そして酷評、〈売れた?〉〈売れない!〉と闘うことが大切。惑わされるとボンクラになって、どんな言葉も引っかからなくなってしまう。僕たちは〈これだ!〉という言葉やメロディーをフックしなければいけないわけだから、感覚器官を研ぎ澄ませておかないと。そのためには、肉体を常に管理しておくことです」
――“Black Train”のMVはアメリカの砂漠で撮影。汽車の先頭に乗って歌うシーンが話題を集めていますが、あれも長渕さんのアイデアですか?
「アイデアということではなく、〈自分はどうしたいんだ?〉ということです。“Black Train”なんだから、汽車に乗って歌いたい。しかも蒸気機関車。なぜなら、子供の頃に乗りてえと思ってたから――それだけなんです。周りの人はビックリするけど、表現者にとっては当たり前のことですから。メーターを振り切ってどこまでおもしろいことがやれるか。それが音楽でブッ飛ぶということですからね」
歌のなかに流れる感情や色
――先行配信された“Loser”はEDMのテイストを取り入れたナンバーで、音楽業界に対する思いを率直に綴った歌詞も強烈でした。
「現在の音楽を作る環境はとても貧相だし、こうであっちゃいけないと思っているんです。すべてが機械化されていて、インテンポのリズムのなかにPCで音を入れてるだけですから。今回のアルバムのレコーディングで僕が試してみたかったのは、機械と、機械に支配された人間、ドロドロの血を流している人間の3つを仮想することだったんです。機械で作ったリズムのなかで血の通った人間がギターを弾く。ミックス・エンジニアは耳ではなく、波形ですべてを見ようとするわけですが、僕は〈こっちを見ろ! 首に青筋を立てて、唾を飛ばして歌っている人間がいるぞ〉と怒る。波形には痛みや悲しみは書いていないですから。そういう〈心の話〉を何度もしました、レコーディングの途中で。たとえばリヴァーブにしても、彼らは自然のリヴァーブというものを知らないんですね。田舎に行って〈おーい!〉と山に向かって叫ぶと、イチ、ニ、サンくらいのテンポで〈おーい〉という声が返ってくる。これが本当のリヴァーブであり、そこに人間は切なさを感じる。エンジニアと一緒に山に行って、本当の山びこを聞いたりしなければいけませんね」
――え、そこまでやられたんですか?
「そうですね。そうすると彼らが作る音が変わってくる。音楽の捉え方、歌のなかに流れる感情や色を共有することで、思ってもみないような化学反応が生まれる。それを感じられないと、レコーディングする意味がないです。それはすごくスリリングだったし、彼らにとっても勉強になったと思いますね」
――“愛こそすべて”もこのアルバムの大きな聴きどころだと思います。特に〈さよなら 君に さよなら 僕に〉というフレーズは印象的でした。
「その部分は最初〈Love, Love〉と歌っていたんですが、そうじゃねえなと思ったんです。愛している人と永遠に一緒にいたいと願っていても、それは叶わないことのほうが多いし、愛する覚悟みたいなものを秘めた愛の歌を作りたかったんです」
――〈いつかは別れるときが来る〉ということは、普段から意識しているんですか?
「そうですね。子供が生まれて、初めて家族を持ったときにそう思いました。そのときに“NEVER CHANGE”(88年のシングル)という歌を書いて、その後、“しあわせの小さな庭”(97年作『ふざけんじゃねぇ』収録)を書いて。いまの幸せはやがて朽ち果てる、だからこそ、壊さないように守っていきたいという思いを歌にしたんです。すべてに始まりと終わりがあることの感覚は、とても大事だと思います」
ずっと弱さを歌ってきた
――“自分のために”についても訊かせてください。〈まずは自分のために必死に生きろ〉というメッセージが伝わる曲ですね。
「〈おまえは誰のために生きてるんだ?〉と自問してみると、やはり〈自分がやりたいことを完遂したい〉というのが正直なところで。失敗しても突っ伏しても、まずは自分のために生きる。それを続けていれば、いつか一人くらいは〈この人もがんばっているんだ。私もがんばろう〉と思う人がいるんじゃないか、と」
――それは長渕さんとファンのみなさんの関係にも言えることだと思います。長渕さんの生き方を見て、自分を鼓舞している人も多いので。
「長渕という表現者は、ずっと弱さを歌ってきたんです。“Myself”(90年作『JEEP』収録)、“泣くな、泣くな、そんな事で”(93年作『Captain of the Ship』収録)もそうですが、過去の楽曲を紐解いていくと、恥ずかしくなるくらい自分の弱い部分を赤裸々に歌っている。それはおそらく〈人間っていうのは弱いよな〉と一対一で語り合っているような感覚。自分のホームグラウンドでは、堂々と肩をいからせて立って生きていくものですが、本当は常に怯え、見えない不安に背中を叩かれて生きている。そして、思うように生きられないのが人生でもある。だから、負けてしまったり劣等感に苛まれたときに僕は、奮い立つ歌を書いてきた。それは、まず、弱い生き物であるってことを認めて歌っちゃえってことなんです」
――長渕さんがライヴに臨むときも、どこかに怖さがあるんですか?
「常にあります。何年やってもね。それに打ち勝つには稽古しかないんです。本番さながらの稽古をやっていても、ステージの上で突発的に起きることもある。だから何があっても良いように、繰り返し繰り返し心拍数を上げ、稽古をする。そうすることで自信をつけていくのです」
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