「現在の世界に、知性と複雑な感情の生きる余地を創り出したい」
浜松国際ピアノコンクールのオープニングを祝うべく、2018年の優勝者ジャン・チャクムルがこの10月に来日し、サン=サーンスの協奏曲第5番を演奏した。「浜松コンクールは名実ともに世界第一線のコンクールに発展してきたと思います。ただ賞を与えて終わりというのではなく、音楽家のその後の成長を支えることを大切しているのが素晴らしい」。
彼が近年情熱を注ぐ『シューベルト+』は多様な作曲家と組み合わせ、ヨーロッパ音楽の鉱脈を鋭く考察する壮大な試みだ。シューベルト没後200年にかけて、全12作にわたる冒険をくり広げる。シューベルトを弾く際にチャクムルがまず心がけているのは、「ヒューマンなものにすることを怖れないこと。心の準備をして、音楽とどこか感情的な関わりをもつこと」。「作品を愛し、だから命を吹き込む。いったんそれができれば、あとの音楽的な解決策はさまざまにみつかります」。
シリーズは『+シェーンベルク』、『+ブラームス』と進み、最新盤ではウィーン出身のクルシェネクが1928年にまとめたソナタ第2番と、彼が補完したシューベルトのハ長調ソナタD. 840の間に、ハンガリー風のメロディD. 817とアレグレットD. 915を挿む意欲的な構成。「クルシェネクはシャンソンも用いたし、シューベルトはハンガリーにインスピレーションを求めるなど、異国のスパイスを活かした繋がりもある。クルシェネクが補完したハ長調ソナタは、私が弾いた最難曲で、特に終楽章は演奏会で弾けるとは思えない(笑)。大きな挑戦でしたが、素晴らしい作品を発見できたのはとても幸せでした」。
次作はヴォジーシェク、シューベルト、ショパン、スクリャービンにいたる即興曲の系譜を辿る。「面白いことに、CD全体が三連符でできているみたいです(笑)。即興曲の繋がりのなか、制限あるものから自由なものまで、感情の広がりも感じられる」。
音楽的な旅を続けることで、チャクムルは究極的にはなにを成し遂げようとしているのだろう? 「現代の社会においては、知性的である余地はわずかしかなく、複雑な感情のためのスペースも非常に限られています。私はそのためのスペース、偶然や機会を創り出したい。哲学、感情、美がいまも問題とされるパラレルな宇宙を創るようなものです。それこそが人生を通じて私が達成したいことです。もっと大きく言えば、社会を変えるために。アドルノの言うように、よく生きられた人生の可能性を示すために」。