多種多様な音楽をいま新しく生きていく。

 ジャン・チャクムルのピアノは明快だ。指さばきが鮮やかで、表現が明瞭であるだけでなく、精神が明朗だとみていい。

 知性と感性とが密接に繋がって、しなやかな身体を活き活きと発動させる。しかも繊細優美に。つまりチャクムルには明敏な才覚があり、だから綿密なコンセプトはそのまま具象ともなる。

 2022年9月4日、ミューザ川崎でのリサイタルを聴いても、古典的な美観とロマン派的な感覚のバランスの良さを感じた。モーツァルトのハ長調K.330とシューベルトのイ短調D845の2曲のソナタを組み、後半はショパンの即興曲とマズルカを織りなして、エネスコのソナタ第3番へと進んでいく。ショパンとエネスコがスラヴ的な感覚と、古典やバロックへと通じる洗練された趣味で響き合うことを、24歳のピアニストは嬉々として明かしていった。しかも、エネスコの難曲で軽妙な感性の愉楽を放ちながら、である。

 「エネスコの第3ソナタはこれまで取り組んだなかでいちばん難しかった」と終演後に明るく語ったチャクムル。「ほんとうに魅力的な曲です。なのに、リパッティの録音は知られていますが、めったに演奏されていない。目下シューベルトに4年間を捧げているところですが、それが明けたら、ぜひソナタ第1番にも臨みたい」

 後日オンラインでインタヴューが叶ったチャクムルは、まさにシューベルトをめぐるレコーディングを進めるさなかだった。2023年春から作曲家没後200年にあたる28年に向けて、毎年2枚の新作をリリースしていく一大プロジェクトである。聞けば、ヴォジーシェクやクルシェネクを含めた汎スラヴ的な広がりや、ベートーヴェン、ショパンやリスト、ブラームス、シェーンベルク、ベルクとウェーベルン、ラヴェルにいたる時代的な脈絡も巧緻に織りなし、シューベルトの可能性を多様な文脈で浮き彫りにする構想だ。「他の作曲家を組み合わせることで、相互の内的な関連から、多種多様な脈絡がみえてくる」

 彼の視野の広さと鋭い洞察は〈Without Borders〉と題した、昨年春録音の最新盤でも鮮烈だった。バルトークのソナタ、ミトロプーロスの“パッサカリア、間奏曲とフーガ”、トルコ最大の作曲家と称えられるサイグンのピアノ・ソナタop.76、エネスコのソナタ第3番の4作をかくも豊かに、現代の感覚をもって出会わせられるのは、おそらくチャクムル唯一人なのではないか。

 「私自身はちょっとイグアナにも似た感じで(笑)、それぞれの作品のテクスチャーを理解したいと努めています。この4人の作曲家は侵略や戦火で大きな苦痛を負った国々の出身で、文化的な分断も被ってきました。いまは多様な過去の成果を検証できる時代にきている。民族的な音楽をどう扱うかは、愛国的な立場をとるか、学問的な発見を価値とみるかで異なります。私は民族性だけでなく、モダニティをみてとる現在からのアプローチを試みました。そうすることで相互の関係が浮かび上がってくる。もうひとつ重要なのは、いずれの作品でもそれぞれにフーガの形式を採用していること。民族的な事柄が問題とされた時代背景を負うなかで、古いヨーロッパのアイディアを各々いかに活用しているか、というのは非常に興味深いことです」

 まるでバベルの塔みたいな話ではないか、人々が別々の言葉で話す以前の太い鉱脈への回帰は。翻って、この現代でチャクムルは音楽家としてどのようなことを成したいと思っているのだろう?

 「2年前、パンデミックやコロナ前にそれを問われたら、過去の人々の記憶や生との感情的な繋がりを保つために、と私は答えていたでしょう。現状はもっと悲観的です。とくに若い人たちが音楽を聴きに戻ってくるのかどうか……。ツヴァイクのいう〈人類の星の時間〉はもう過ぎてしまったのかもしれない。私自身のことを言えば、パンデミックのせいかはわからないけれど、昨年になって自分の内でなにかが起こり、さらに自由になったと感じます。音楽に惹きこまれた12歳の頃のメンタリティを取り戻したように。そうしていま音楽家として素晴らしい地平に立っているので、これがよく続いていくことを願っています」

 


ジャン・チャクムル(Can Çakmur)
1997年、トルコのアンカラ生まれ。2018年に開催された第10回浜松国際ピアノコンクールに優勝、同時に室内楽賞も受賞。2017年にはスコットランド国際ピアノコンクールで優勝。ロンドンのウィグモア・ホール、グラスゴー・コンサート・ホール、アイントホーフェン・ホール、東京オペラシティ、ミューザ川崎など、世界各地の様々なコンサートホールで演奏、母国トルコの最も有名なコンサート会場でも演奏している。“国境なきピアノ曲”は2021年1月にICMA賞(国際クラシック音楽賞)でヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞している。