
森定道広との出会いからのめり込んだ即興演奏
――大学時代からフリーフォームの即興演奏も行っていたのでしょうか?
「いえ、まだやっていませんでした。大学卒業後、21歳の時にポール・ブレイの『Not Two, Not One』(1999年)というアルバムと出会い、それが衝撃で。〈こんな音楽があるのか!〉って驚くと同時に、〈私がやりたいのはこういうことかも〉とも思いました。当時すでにオリジナルは作り始めていて、2004年にミニアルバム『a sunset glow』も出しましたが、ジャズのフォーマットに基づいたフュージョン寄りのサウンドで、フリーではなかった。ポール・ブレイを聴いてからは、ああいうサウンドを求めていきたいと思うようになりました。
ポール・ブレイについて調べるうちに、藤井郷子さんというピアニストが弟子だと知って。藤井さんは神戸BIG APPLEでよくライブをしていたので観に行ったんです。2006年3月です。そしたら藤井さんのライブにも衝撃を受けて、脳が興奮しすぎて足がつりましたね(笑)。終演後にお話しさせていただいて、その後はライブに通うようになりました。
同じ頃、菊地雅章さんとグレッグ・オズビーがデュオで神戸に来たことがあり、そのライブにも同じような衝撃を受けて。〈意味がわからない、けど、すごい……!〉って。でも、その段階ではまだ、自分でフリーインプロビゼーションに取り組むには至っていませんでした」
――ご自身でも取り組むようになったきっかけは何でしたか?
「藤井さんとトランペッターの田村夏樹さんのライブに通っていたら、ある日、もう一人コントラバスを弾いてる人がいて。それが、ベテランインプロバイザーの森定道広さんでした。ライブ後、藤井さんが森定さんに私を紹介してくださって。私が〈即興やフリーに興味があって、やってみたい〉と言ったら、森定さんが即答で〈じゃ、一緒にやろか〉って(笑)。〈いやいや、まだやったことないんです〉と躊躇したんですが、〈大丈夫〉とブッキングを組まれ、森定さんが呼んだドラマーの橋本達哉さんと3人でライブをすることになりました。
完全即興でライブするのは初めてだったので、当日、どうするのがいいのかわからず、そもそもいいも悪いもわからない状態で、森定さんには〈なんでもいいから、思うようにやり〉と言われ。それが2007年。その時のメンバーで後々、〈関谷友加里トリオ〉として活動することになるんです」
――初のフリーインプロのライブで、手応えを感じたということでしょうか?
「手応えがあるかすらわからなくて。当時はまだフリージャズの巨匠もそんなに聴いていなかったんです。セシル・テイラーもよくわからないと思っていたし、オーネット・コールマンもしんどい音楽だなと。自分で演奏して経験を積んだことにより、耳が開いて、巨匠たちの音がわかるようになりました」
――すると、その後も継続的に森定さんたちと活動したのはなぜだったのでしょうか?
「森定さんの人柄でしょうか(笑)。親子ぐらい歳の差があるのに、上から目線でものを言う方じゃないし、寡黙なんですが、鋭いことをポロッと仰ったりする。ユニークで面白い方なので、また一緒に演奏したいと思ったんです。
森定さんと出会っていなかったら、フリーな即興演奏はそんなにやっていなかったかもしれません。当時、いわゆるジャズのフォーマットでオリジナルをやるトリオでも活動していたんです。それはそれで楽しかったので、森定さんがいなかったら、そっちの比重が大きくなっていた気がします」
ジャズと自由即興を同じ世界で奏でたい
――フリーインプロに取り組むようになってから、聴き込んだり好きになったりしたピアニストはいましたか?
「ポール・ブレイの他だと、ピアニストではありませんが、ポール・モチアンやスティーヴ・スワロウ、ジミー・ジュフリーとかをよく聴いていました。モチアンの『On Broadway』シリーズは特にハマりましたね。そこに参加していた菊地雅章さんにものめり込んだり。菊地さんは、スタンダードもオリジナルもフリーも全部やられていて、でも全部菊地さんの音がしている。そこに憧れました。それはポール・ブレイも同じです。垣根を設けず自在に行き来しているのがいいなと。
それは当時、自分の中に葛藤があったからかもしれません。森定さんたちとフリーな即興をやる一方、別のメンバーとオーソドックスなジャズもやっていて、それらを自分の中で分けている気がして。そういう二面性を持っている自分に嫌気が差したというか。こっちはこっち、あっちはあっち、と切り分けている自分が嫌で、それを乗り越えて自在に行き来するピアニストに憧れていました。そういうマインドで音楽と向き合いたいなと、今でも思っています」
――フリー系と、オーソドックスなジャズと、メンバーが行き来することはなかったのでしょうか?
「なかったです。交流がないんですよ。大学でオーソドックスなジャズを学んでいたこともあり、森定さんたちと即興演奏を始めた時、学生時代の知り合いから〈関谷はフリーに行ったか〉と吐き捨てるように言われたこともありました。その言葉は記憶に残っていて。やっぱり、フリージャズ的なものを嫌悪する、違う世界のものとして扱う風潮がある。特に関西のシーンではその風潮が根強いと感じます。だからなおさら同じ世界の中で扱いたくて。もっと混ぜこぜになったら面白いのにって、ずっと思っているんです」