
媒介になり、音楽家たちをブルースで繋げた功績
――情感が込められた演奏や一発でわかる音色が妹尾さんの特徴でしたが、印象的なのは「俺のハーモニカ、すごいだろ」といったことを一切言わなかったことです。「ブルースをよろしく!」という言葉に通じますが、何かに捧げるような音楽をやっていたと思います。
永井「そしてミュージシャンを最初にブルースで繋げたのは妹尾君ですね。京都に来て〈東京へ演奏に来てくれんか〉と俺を誘ってくれたのも妹尾君。それで京都から西新宿のMagazine No. 1/2に行ったら、客は5人もいなかったけどね(笑)。でも妹尾君を介して久保田麻琴さんと知り合ったり、ジャズの沖至さんとセッションしたり、東京の学園祭も紹介してもらったり……。媒介になって東京でウエスト・ロードをいろんな人に紹介してくれたのは妹尾君と(内田)裕也さんです」
――そのことは、このアルバムにも直接関わっていますね。
永井「あの時代でこれだけの精鋭ミュージシャンが集まったんだから、やっぱりそういう人だったんです」
――中村とうようさんがライナーノーツで書いた〈1976年春の時点での日本のブルースの水準の高さをみごとにドキュメントしたアルバム〉という言葉通りですね。
永井「まさに。ただ最初はローラーコースターとアルバムを作ると思っていました。ローラーコースターを主体にしていたらこういうアルバムにはならなかったでしょうけど……」
――こういうプロデュースだったから、結果的に歴史的名盤になったんですよね。その意味で、今回ローラーコースターとの録音がディスク2に収められたデラックス盤が出るのは深い意味があるんです。
永井「こういう色々なミュージシャンを入れた作りになったのは本人の意志だったのか、レコード会社やプロデューサーの都合だったのか……」
妹尾「制作側の事情もあったようです。当時はレコードを作るハードルが高くてミュージシャンも探り探りだったでしょうから」

(左から)マコ(初代ベース)、川口允(ギター)、妹尾隆一郎(ボーカル/ハーモニカ)、山崎美樹(ドラムス)
――永井さんは当時、『Messin’ around』のレコーディング現場に顔を出しましたか?
永井「ちらっと行ったかも。本当にいい録音メンバーですよね。当時の日本の精鋭を集めて〈この曲にはこの人〉ってうまく適材適所に配置しています。あの妹尾君がよく言うことを聞いてディレクションに従ったなとは思うけど(笑)」
――今回、テープに残っていたコントロールルームの音声を活かしてディスク2に収録しているんです。「今のどやった?」「この曲はこのテイクでいいよ」「わかった。次いこか」といったやりとりが残されています。十分な信頼関係ができていた印象です。
妹尾「レコーディングも初めてだし、すごく真面目に取り組んでいた印象です」
安藤「ディスク2は音がいいですよね。音源は全部カセットですか?」
――そうです。今回発見されたテープで、レコーディング時のモニターミックスだと思います。それを切れないように熱処理しながらデジタル起こししました。皮肉なことにオーディオマニアだった妹尾さんがこだわって選んだ70年代のスコッチテープが不良品で、処理には時間をかけました。
安藤「そうだったんですね。このディスク2は、もちろんアルバムに収録される前提だからでしょうが、すごくクオリティが高くて聴き飽きなかった」
妹尾「ですよね。自信を持ってやっていただけに、よくこんな演奏をしていたなと思うぐらい本当に素晴らしい」

ブルースを含む黒人文化を伝えたかった
――妹尾さんの人柄についてはいかがでしょうか?
妹尾「妹尾さんって寂しがり屋じゃない?」
永井「寂しがり屋ですね。寂しがり屋だけどわがまま(笑)」
妹尾「あと妹尾さんって、ブルースを含めた黒人文化全体の話をしたい人だったじゃないですか。聖書を読み込んでいたぐらいだから、黒人文化から見たブルースとか、黒人はどう考えているかとか、そういうことを伝えたかった人です。でも生徒の方に〈そういう話はいいからハーモニカを教えてください〉と言われたこともあったそうです(笑)。ビートやグルーヴについても同じで、わかってくれる人が少ないとぼやいていました」
安藤「1時間の授業で、ほとんど妹尾さんの話だけで終わったことは何度かありましたね。〈ごめん、今日は何もやんなかったな〉って(笑)」
妹尾「ライブでもずっとしゃべっていて、早くやれ!って言われていたじゃない?」