(左から)永井“ホトケ”隆、妹尾みえ、安藤賀章
取材協力:Never Never Land

日本のブルースハープのパイオニア、ウィーピング・ハープ・セノオこと妹尾隆一郎。ハーモニカ奏者として国内シーンを牽引しただけでなく、サザンオールスターズやB’z、山口百恵、中山美穂といったJ-POP/歌謡曲の大御所の録音への参加でも知られたが、惜しくも2017年にこの世を去った。

そんな彼が1976年にリリースした1stアルバムが、『Weeping Harp Senoh Messin’ around』だ。その歴史的名盤が今回、デラックス盤としてリリースされる。ディスク2には当時の彼のバンドだったローラーコースターとのアウトテイクが収録され、妹尾の活動と70年代日本のブルースシーンの厚みや熱さを立体的に伝える2枚組になっている。

妹尾の功績とアルバムの魅力を改めて広く伝えるために、ここでは関係者による鼎談をお届けしよう。集まってもらったのは永井“ホトケ”隆と妹尾みえ、安藤賀章の3人。永井“ホトケ”隆は彼と同じ時代を生きた音楽家で、70年代のウエスト・ロード・ブルース・バンドに始まり、現在もblues.the-butcher-590213(以下、ブルーズ・ザ・ブッチャー)でシーンの第一線にて活躍中。また妹尾みえは、〈日本で唯一の女性ブルースライター〉として国内外の音楽に精通する音楽ライター/編集者。安藤賀章は、ブルースの重要作をリリースしてきたPヴァインのスタッフにして、妹尾にハーモニカの薫陶を受けた経験の持ち主。そして司会・進行を務める音楽エージェント/プロデューサー永田純は、16歳でウエスト・ロードと出会って人生が変わり、かつてローラーコースターの追っかけをし、ベーシストとしてバンドに加わっていたこともある。

この『Weeping Harp Senoh Messin’ around -Deluxe Edition-』のリリースと〈妹尾隆一郎トリビュートライブ2025「ブルースをよろしく!」〉の開催を前に、妹尾隆一郎と浅からぬ関係がある彼らの対話から彼の音楽と人生、さらにブルースという音楽自体の面白さや深みを伝えられたら幸いだ。会場は、彼と深い縁がある街・下北沢のバーNever Never Landをお借りした。

妹尾隆一郎 『Weeping Harp Senoh Messin’ around -Deluxe Edition-』 ブリッジ(2025)

 

ブルースが政治や社会とともにあった時代

――妹尾隆一郎さんが1976年に出した1stアルバム『Messin’ around』が今回、2枚組のデラックス盤として発売されます。本作を少しでも多くの方に聴いていただくため、このメンバーの対談が実現できたら最高だと考えてお声がけさせていただきました。若い方やブルースに馴染みのない方にも聴いていただくきっかけにしたいと思い、まずブルースとは何ぞや?ということからお伺いしたいと思います。

妹尾みえ「ブルースとは何ぞや、ですか……(笑)? ロックのルーツという視点から言えば、ブルースの影響は表立って描かれていませんが、最近公開されたボブ・ディランの映画(『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』)でも自由に生きることへの憧れや解放などを通じ、ブルースの本質を垣間見る場面は確実にあると思いました」

永井“ホトケ”隆「60、70年代と今は時代が違いすぎますよね。ディランの映画を見てもキューバ危機があり、核戦争の緊迫感があり、ベトナム戦争があり、人種差別や公民権運動があり……そんな中で音楽が生まれていた。

当時、僕は高校生でしたがそういうことを日本にいても感じていました。沖縄から自衛隊の飛行機が飛んでベトナム戦争最中の米軍に物資を運んでいる現実に対して自分はどう考えるんだ?と自問したり、友達と話したり。高2の頃には国際反戦デーのデモへ初めて行きました。そういう出来事や経験が音楽と切り離せず密着していたんですね。

でも今はそういうことは抜きの音楽だけのブルースになってますから、もうそういう時代の考え方は自分の中の奥の方にしまい込みました。若い人にこんな話をしたってうざがられますしね(笑)。音楽に対する姿勢や聴き方があまりに違ってるんで」

妹尾「70年代はロックに出会ったら次はブルースを聴く、という環境があって世界的に若者が自然とブルースを聴いていました。『Messin’ around』はビクターのフライングドッグから出ていて、フライングドッグの最初のリリースは頭脳警察解散後のPANTAさんのアルバムでしたね。PANTAさんも実はブルースを歌いたいと思った時期があったと聞いたことがあります。私は鈴木茂とハックルバックで佐藤博さんが歌うブルースに影響を受けました。ブルースって今の音楽と関係あるの?と思われるかもしれませんが、当時はみんなどこかで耳にしたのかもしれません」

安藤賀章「山下達郎さんもラジオでジミー・リードをかけているのを聴いたことがあります。ほかには(久保田麻琴と)夕焼け楽団もブルースに影響を受けていました。一方で70、80年代はロックを入り口にブルースへ入れたけど、今、例えばジャック・ホワイトのファンがブルースを聴くかは疑問ですね」

永井「70年代当時、僕たちより先に黒人ブルースを演っている人はほぼいませんでした。(ザ・ゴールデン・)カップスはブルースを演っていたけど、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドなど白人ブルースの影響だった。かまやつ(ひろし)さんのザ・スパイダースも“Boom Boom”を演奏していましたが、やはりブリティッシュロックのアニマルズ経由でした」

妹尾「フォークソングの方たちは早くからブルースに関心を持っていましたね」