ニューヨーク・ラテンのマエストロ逝く
9月はじめにApple TV+で配信がスタートしたスパイク・リー監督の新作映画「天国と地獄 Highest 2 Lowest」。黒澤明の「天国と地獄」を、ニューヨークを舞台にデンゼル・ワシントンの主演でリメイク、今年のカンヌ映画祭でプレミア上映された話題作だが、この中で大きくフィーチャーされているのが、ニューヨーク・ラテンのマエストロ、エディ・パルミエリの演奏シーンだ。
誘拐事件に巻き込まれた主人公が地下鉄で身代金を運んでいる最中、ブロンクスに入ったところで登場するのが、プエルトリカン・デイ・パレードの一環で路上ライヴを行っているエディ・パルミエリ・サルサ・オーケストラである(ネタバレ御免!)。演奏するのは代表曲の“プエルトリコ”。特にストーリーに密接に絡んでくるわけではないが、ニューヨーク、ブロンクス……と来たら、やっぱりプエルトリカン、サルサ、そしてエディ・パルミエリだよね! ……というのは、さすが、地元ニューヨーク出身のスパイク・リーならではのストリート感覚ではないだろうか。
しかし、この偉大なマエストロは、作品の配信を前にして、8月6日、88歳でこの世を去ってしまった。
1936年12月15日、ニューヨーク・ブロンクスでイタリア系プエルトリコ人の両親のもとに生まれた彼は、9歳上の兄チャーリーの影響もあって8歳からピアノを始め、15歳で初めてのバンドを結成。19歳でプロとなり、数々の名門楽団で働いたあと、62年、自己の楽団ラ・ペルフェクタでレコード・デビューを果たした(ローリング・ストーンズやビートルズと同じ時期である)。その独特にして強烈なピアノ・プレイと、トロンボーン2本をフィーチャーした〈トロンバンガ〉のゴリゴリとした粗削りなサウンドは、60年代前半のニューヨークの気分にピタリとはまり、一気に人気を獲得した。
ニューヨーク・ラテンが試行錯誤を繰り返していた60年代、確実に自分の音楽を作り上げていったエディの楽団は、60年代末、トランペットを入れたオルケスタ編成に生まれ変わり、『フスティシア』『スーパーインポジション』『バモノス・パル・モンテ』など、社会問題に目を向けた問題作を次々と発表。理不尽な社会に、音楽を武器に戦いを挑んでいった。また、通常のアルバムにおいても英語曲やジャズ・ナンバーなどラテンにとらわれないレパートリーを取り上げる一方、別ユニットのハーレム・リヴァー・ドライヴなどで、ジャズ、R&B、ファンク、ラテン音楽といったジャンルの枠を越えようと、さまざまな音楽的試みを積極的に続けていたことも忘れてはならない。
さらに70年代前半には、プエルトリコ大学でのライヴ、シンシン刑務所でのライヴなどで衝撃を巻き起こし、ニューヨーク・ラテンのエッセンスが凝縮された『ザ・サン・オヴ・ラテン・ミュージック』(74年)で、創設されたばかりのグラミー賞ラテン部門を受賞(翌年も『アンフィニッシュト・マスターピース』で連続受賞)。ディスコ・サウンドを彼なりに再解釈した異色作『ルクミ、マクンバ、ヴードゥー』(78年)も話題となった。その後もコンスタントに質の高いアルバムを発表し続け、全部で8度のグラミー賞を受けている。
彼はまた、別名〈パルミエリ学校〉と呼ばれるほど、多くの優秀な音楽家たちを育ててきたことでも知られ、古くはジェリーとアンディのゴンサレス兄弟やニッキー・マレーロから、ラロ・ロドリゲス、日本人の定村史朗、ルケス・カーティス、ジョナサン・パウエルなどなど、彼のもとから羽ばたいて、あるいは共に活動しながら自らの道を突き進んでいる音楽家たちは数多い。
ニューヨーク・ラテンの最もコアな部分を体現するピアニストでありバンド・リーダーのエディ・パルミエリ。ここ数年は体調を崩し、積極的に行っていたツアーも自粛せざるを得ない状況となっていたが、そんな中で今回、最後の雄姿をしっかりと映像に残してくれたことを、スパイク・リー監督、そして何よりマエストロご本人に感謝したい。