70年代、世界中のティーンが夢中になった元祖ロック・アイドル・グループ、ファン待望の日本盤シングル集!

 70年代に世界中に〈タータン旋風〉を巻き起こしたベイ・シティ・ローラーズ(以下、BCR)。彼らが日本でリリースしたシングルA/B面曲を全て最新リマスター音源で収録したコンピレーション『グレイテスト・ストーリー~ジャパニーズ・シングル集』が12月17日にリリースされる。2枚組38曲というヴォリュームでシングル曲とボーナス・トラックを収録。さらにミュージック・ビデオを集めて2005年に発売されたDVD 「B.C.R.ビデオヒッツ」も収録されていて、BCRの魅力が詰まった決定版だ。

BAY CITY ROLLERS 『グレイテスト・ストーリー~ジャパニーズ・シングル集』 ソニー(2025)

 BCRの前身バンド、サクソンズが結成されたのは1965年のこと。中心メンバーはアランとデレクのロングミュラー兄弟で、バンド・メンバーは兄弟の地元の仲間たち。その中には後にパイロットを結成するデヴィッド・ペイトンとビル・ライオールがいた。アメリカのロック・バンドに憧れていたロングミュラー兄弟は、アメリカの地名をとってバンド名をベイ・シティ・ローラーズに改名。71年にジェントリーズのカヴァー“朝まで踊ろう”でデビューすると、全英チャート9位を記録するヒットになる。『グレイテスト・ストーリー』のオープニングを飾るこの曲は、当時のリード・ヴォーカルだったノビー・クラークが歌っていたが、バンドの方向性を巡ってノビーは72年に脱退。バンドは新たなヴォーカルとしてレスリー・マッコーエンを迎える。そして、新編成になったBCRの快進撃が始まった。74年に発表したシングル曲“恋のロックン・ロール”(今回、世界初のモノラル音源でCD化)は全英チャート2位を記録。75年に発表したフォー・シーズンズのカヴァー“バイ・バイ・ベイビー”は全英チャート1位に輝いた。

 ブリルビルディング・サウンド風の“恋のロックン・ロール”、爽やかなコーラスを聞かせる“バイ・バイ・ベイビー”など、この時期のBCRは60年代のアメリカン・ポップスをお手本にしてアイドル路線を突き進んだ。そんななかで生まれたのが、彼らの代表曲“サタディ・ナイト”だ。この曲はノビーがヴォーカルだった73年にリリースされたもののチャートに入らなかった。しかし、レスリーが歌い直してBCRのファースト・アルバム『エジンバラの騎士』(74年)に収録。それを75年にシングル・カットしたところ、初の全米チャート1位を記録する大ヒットに。日本でもBCR人気は沸騰して、76年にはアメリカと日本限定のシングル“ロックン・ロール・ラヴ・レター”がリリースされた。

 タータン・チェックの衣装に身を包み、世界的なアイドル・バンドとなったBCR。しかし、予想外に成功からくるプレッシャーから76年にオリジナル・メンバーのアラン・ロングミュラーがバンドを脱退。17歳の新メンバー、イアン・ミッチェルを迎えて、ダスティ・スプリングフィールドのカヴァー“二人だけのデート”をヒットさせて健闘する。日本に初来日して話題を呼んだのはこの年だった。しかし、世界にパンク・ロックの嵐が吹き荒れる77年頃になるとBCRの人気は次第に下火に。アイドル・バンドというイメージを脱皮して、洗練された歌ものへと音楽性を変化させていくなかで、77年に発表した“恋のゲーム”は久しぶりのヒットになり、全米チャート10位、全英チャート16位を記録。この年、バンドはツアーで2度目の来日をして、その模様はのちに『武道館ライヴ1977』としてリリースされた。78年にレスリーが脱退。ダンカン・フォールを3代目のヴォーカルに迎えたBCRは、バンド名を〈ローラーズ〉と改名して活動を続けたが81年に解散。『グレイテスト・ストーリー』には、ボーナス・トラックとしてローラーズの曲も収録されている。

 プログレ、ディスコ、パンク、テクノなど、様々な音楽が渦巻いた70年代のポップス・シーン。そのなかで、トップ・アイドルとして走り抜けたBCRが残したシングル曲は極上のポップ・ソング。ニック・ロウは75年にタータン・ホードという企画バンドを作り、“憧れのベイ・シティ・ローラーズ”という曲を発表したが、BCRの曲には今も色褪せない10代の夢が詰まっている。