まるでマジックのような、ライヴ・エレクトロニクス・システム〈Spektrafon(スペクトラフォン)〉で表現する引き算の美学

 ヨン・バルケはジャズ大国ノルウェーで生まれ、クラシックからジャズに転身したピアニスト。オスロ13、Masqualeroなどのユニットでも活躍してきた才人である。ちなみに彼は1955年生まれ。1940年代生まれのアリルド・アンデルセンやヤン・ガルバレク、カーリン・クローグがノルウェー・ジャズ第一世代だとすると、1960年代生まれのニルス・ペッター・モルヴェルやブッゲ・ヴェッセルトフトは第二世代だ。つまり、ヨンは両者のはざまの世代にあたる。「第一世代はECMやマンフレート・アイヒャーとの結びつきが強く、音楽的スタイルに一貫性があった。第二世代は打ち込みを使ったり、より音楽性を広げていったよね」とヨンは言う。

 彼はプレイヤーとして突出した個性を誇るのみならず、長年ノルウェー音楽院で教鞭を執ってきた。その経験が彼にもたらしたものはなんだったのだろうか。

 「自分がやってきた即興演奏で言うと、基盤にあるものってイマジネーションで作り出す音だったんだけれど、それを人に伝えたり教えるとなると、一応一貫した論理を踏まなければならなくなるよね。そこで自分の実践を言葉で整理するようになった。ただ、自分の演奏のリズムはきちっと数学的に測れるものではなく、伸びたり縮んだりする。それは西アフリカに行ったり、世界中のフォーク・ミュージックをリサーチする中でできてきたもので、それを伝えるのは自分の音楽哲学を考え直すきっかけにもなったよ」

JON BALKE 『Skrifum』 ECM(2025)

 ECMからの最新作『Skrifum』では、共同開発に関わったライヴ・エレクトロニクス・システム〈Spektrafon〉(スペクトラフォン) を駆使し、ピアノの音に様々なエフェクトや効果音を加えている。来日公演でそのSpektrafonを使用した演奏を見たが、ヨンはピアノを弾いたあと、その音を手元のiPadを操作して加工/変調してゆく。iPadの画面には音の動きが周波数で可視化され、それを指で直に操作することによって、リアルタイムで音がモーフィングしてゆく。まるでなにかのマジックを見ているようであり、ダブとの相同性も感じさせるものだった。ライヴには、ECMからもリーダー作をリリースしているドラマーの福盛進也、書家の白石雪妃も参加。静謐で抒情的な演奏が展開された。

 なお、『Skrifum』ではほぼ単音しか使われていない。左手もコードを抑えることがなく、行間や余白がたっぷり残されている。それだけにリスナーの想像力が働く余地が残されていると言える。

 「数十年ピアノを弾いてきたけれど、余計な音が多いなと思っていた。今はそれを差し引く、取り外すっていうことに興味がある。コアになる表現だけを残したい。日本の雅楽や能にも興味があるのも、それらが間(ま)を大事にしているから。そうするとスペースが大事になってくるから、引き算の美学を自分も自然に取り込むようになったんだ。実は20代の頃からピアノ・プレイヤーに興味がなくて、好きだったのはマイルス・デイヴィスやウェイン・ショーターだった。彼らはたったのいち音でとても豊かなニュアンスを出せる。自分もそうなりたいと思っていた」

 最新作ではモノフォニックなヴォイスが徹底して突き詰められている。ある意味、これはヨンにとってのひとつの到達点ではないだろうか。

 「今、なぜ自分はこういう弾き方をしているのかを自問自答している。例えば、ピアノを速く弾くことに関してはもうさんざんやってきた。あるいは、観客に感心してもらいたいとか、驚いてもらいたくてピアノを弾いているわけではない。そういう邪念を取り除いたあとに何が残るんだろう、ということに興味がある。要するにみんなに拍手してもらいたいからやるんじゃなくて、本当に自分がやりたいと感じる音楽は何なんだっていうことだよね。それはビジネス的なこととは関係ない、自分の心に耳を澄ますことが大切なんだと思う」

 


ヨン・バルケ(JON BALKE)
ピアニスト/作曲家。1955年、ノルウェー生まれ。北欧ジャズを代表する音楽家の一人としてECMレーベルを中心に国際的に活躍。独創的な音楽世界と緻密な構築力、詩的な感性で知られる。1980年代より自身のグループであるマグネティック・ノース・オーケストラやバタグラフ、トリオのヨクレバなどでジャズと現代音楽、民族音楽、電子音響を横断する革新的なプロジェクトを展開。アフリカのポリリズム、アラブ音楽の旋律構造、現代詩や舞台芸術からの影響を融合させながら、常に新しい表現を探求してきた。近年は、ピアノと電子音響を融合させた独自のシステム〈Spektrafon〉を開発し、空間的で層状の音響を創出。音と静寂、即興と構築、身体性と知性が交錯する独特のサウンドスケープを描く。

※Spektrafon(スペクトラフォン)は、ヨン・バルケが開発した音響システム。ピアノの倍音成分をリアルタイムで抽出し、空間的に拡張された音響として再構築。音が空間に漂い、重層的に響く独自のサウンドスケープを創り出す。