
〈まだできる〉と信じて走り続けた30代の曲
――ほかに、個人的な思い入れの強い曲を挙げるとすると?
「“君はレースの途中のランナー”という曲は、30代の後半に書いた曲で、その時は40歳になることを重大に考えていたんですね。青春の残り火がくすぶっている感じで、このまま人生が進んでいく焦りと、〈まだできることがある〉という可能性を感じながら、頑張りたい時代だったんです。30代の作品は基本的に全部そのテーマで作られていて、“ボーイズ・オン・ザ・ラン”“スタートライン”“青春ラジオ”もそうですし、特に“君はレースの途中のランナー”は、その世界観が集約されている曲だと思います」
――馬場さんの30代は、1997年から2007年の間ですね。そもそも、デビューが少し遅めだったので。
「28歳からのスタートだったので、最初から背水の陣というか、余裕がない活動でした。そこから時代が流れて、ディスク1の1曲目“君が僕の元気”(2024年)は、年齢も重ねましたし、もう少し間口の広いポップスとして楽しんでもらえる曲作りに変わってきつつある中で、すごく納得のいった曲ですね。〈こういう感じでまだできるな〉という、自分にとって勇気になった曲でした」
――少し、昔の話をしてもいいですか。メジャーデビューを果たした1996年当時の男性シンガーソングライターのシーンを、どんなふうに見ていましたか。少し前に槇原敬之さんがいて、ほかに斉藤和義さんとか――。
「槇原さんは時代が少し前で、斉藤和義さんのデビューが僕の2、3年前かな。バンドからソロになった奥田民生さん、山崎まさよしさんがいて、スガ シカオさんはほぼ一緒で、当時は男性ソロに追い風があった時代だったんですかね。FM局が推してくれて、僕もそこに便乗して(笑)。その中でデビューさせてもらえて、幸運だったと思います」
――その中で、自分の座る椅子を、どこに見つけようと思っていましたか。
「もともと、バンドをやりたかったんですよ。でもうまくいかなくて、ソロでやることになって、ソロの経験が少ないままのデビューだったんです。楽曲も、〈〇〇というバンドの曲です〉というのと、〈馬場俊英の曲です〉というのでは、全く違う感じ方があったんですね。全てを個人で背負わなきゃいけないというか、なぜこれをやったか?という理由をちゃんと持ってないといけない気がして、臆病になった時もありました。
しかも、ポップスもやりたかったし、ロックも、フォークもやりたかったし、自分の中で少し迷いがあったんです。メジャーレーベルなので、宣伝や制作の方の意見ももちろんあったのと、遅いデビューだったので、あんまり反抗してデビューの話がなくなっちゃったら嫌だなとか(苦笑)。いろんなものに対応しているうちに4年ぐらい経っていた、というのが正直なところです」
――フォーライフ・レコードと契約した最初のメジャー時代は、1996年~2000年で一旦終了します。
「僕がもっと若かったら、何も知らない強みを押し出して行けたと思うんですけども、今思うと人の話を聞きすぎた気もするし、自分も出しきれなかったところがあったし、周りのスタッフももどかしく感じていたと思います。チャンスはたくさんいただいたんですけど、本音を言えないまま、いい付き合いができなかったという反省は今でもあります」