
宅録で自由に制作した宝物のようなインディーズ時代
――そのあと、今回同時リリースされるもう1枚のベストアルバム『UP ON THE ROOF EARLY DAYS RECORDINGS 2001-2004』の時代に移るわけですね。
「メジャー契約が終わってしまって、事務所にも入っていなかったので、契約が終わった時に何もかも終わってしまったんです。もう30歳を超えていたので、(活動を続けるのは)難しいのかな?と思ったんですけど、もう一回頑張ってみようかと思った時に、人に気に入られたいとか、そこまで考える余裕がなかったので、とにかく自分が好きなものを作ろうと思って、アルバムを1枚作ったんです」
――それが『フクロウの唄』(2001年)ですね。
「ハードディスクレコーディングが普及して、Corneliusさん、中村一義さんとか、宅録でアルバムを作るという時代の空気もあったし、飲食店やアパレルのメーカーがレーベルを持つという文化もあって、自主制作でCDを作る技術が『サウンド&レコーディング・マガジン』とかで紹介されたり、そういう流れに乗っかって、やれそうだなと思ったんです。録音もミックスも自分でやりました。プライベートスタジオという名の、アパートの部屋で(笑)」
――それが、新たなターニングポイントになった。
「いろんな人に聴いていただいたら、意外といい反応だったんです。特に“ボーイズ・オン・ザ・ラン”の評判が良くて、それに支えられて次のアルバムを作ろうという意欲に繋がって、『鴨川』(2002年)を出しました。その2枚を作ることで、インディーズで制作すること、CDをショップに置いてもらうこと、ラジオの人に音源を渡して、それがかかった時の喜びとか、そういうものを知ることによって、俄然面白くなってきたんですよね。お金にはなりませんでしたけど、音楽を作ることがどんどん面白くなってきて、新曲もバンバン書いて。
『鴨川』が『フクロウの唄』以上に〈いいね〉と言ってくれる方が増えたこともあって、ようやく自分の音楽性に気づけたというか、最初のデビューで、社会の中で自分がどういうイメージで見られているのか?をなんとなく感じた上で、若い頃に聴いていた、自分の好きなルーツミュージックと組み合わせるスタイルが、だんだんわかってきたんですね。それが『鴨川』を作った頃だと思います」
――ある意味、今の活動のルーツはその頃にある。
「本当にそうです。宝物みたいなインディーズ時代でした。コンサートも、全部自分で作るスタイルを勉強しましたし、基本的に〈自分がやりたいからやる〉ところから始めようという考えになっていったので、すごく良かったと思います」
――その『フクロウの唄』と『鴨川』、もう1枚の『blue coffee』(2004年)の、インディーズ3作から13曲をセレクトしたのが、『UP ON THE ROOF EARLY DAYS RECORDINGS 2001-2004』です。
「大手のレーベルの作品とは音のクオリティが違うので、2作に分けたほうがいいなという理由で、こういう形になりました」
――ボーナストラックとして、1995年録音の未発表デモ音源“28”が入っていますね。これは?
「デビュー前に録ったデモ音源を、コロナ禍の時にたまたま見つけて、〈結構いいな〉と思ったので。時代的には少し違うんですけども、こっちのアルバムに合うなと思ったので、ボーナストラックとして収録しました」
――年齢をそのまま歌い込んだ“28”というタイトルで、ニューオリンズファンクのようなかっこいい曲。
「僕がバンドをやっていた頃、BO GUMBOSとかJAGATARAが好きで、スカパラやOriginal Loveとかもかっこよくて、16ビートのファンキーな曲が多かったんですよ。田島貴男さんとは同い年だし、そういう感じのJ-ROCKをバンドでやっていたんですね。その影響がこの曲にはあると思います」
――『UP ON THE ROOF EARLY DAYS RECORDINGS 2001-2004』の時期は、本当に伸び伸びしているというか、いろんな曲があって面白いです。“真珠”みたいに、珍しくちょっと官能的な曲があったり、“怪物達の古戦場”とか、シュールで不思議な物語があったり。想像力が飛びまくっている気がします。
「勝手にやっていただけなんですけどね(笑)。ライブにお客さんは来ないし、CDも売れなくて、フィードバックがないんです。誰に届けたいとかもないし、自分の感じるままにやっていただけで。
それが、“スタートライン”あたりからメッセージ性の強いものに変わっていったのは、お客さんが1,000人、2,000人と来てくださるようになって、反応がたくさん返ってくることで、〈今歌うべき曲は何か〉とか、逆に〈こういう立ち振る舞いは期待されてないな〉とか、ある意味で洗練されていく作業を経て、また新曲を作るという、そういう流れがあったと思います」
