開かれた先人たちへの、おおらかさと気骨あふれるオマージュ
ファースト作『アトランティカ』(2005年)以降だけでも、松田美緒の渡り歩いてきた航跡はおそろしく広汎だ。大洋を幾度となく渡り、辿り着いた最新プロジェクト『にほんのうた』。埋もれた歌を見つけ、フィールドを訪ねて土地人と語り、ライヴで練り上げた成果をCDブックという形で発表するとは、なんたる行動力! そも、歌探しの発端は何だったのだろう。
「2011年の末、25年ぶりに秋田県に帰ったんです。故郷の資料室には、40年前に日本中で集めた民謡の資料があって、なんの気なしに長崎のところを開けたら、伊王島の“アンゼラスの歌”“花摘み歌”があった。もうショックで……これが、私の日本の歌だ!と思った。世界的な文脈から生まれ、日本の中に閉じていない。隠れキリシタンの人がカトリックに復帰してからの歌でもある。聴いて、やっとね、今まで旅して歌ってきた世界と、日本が繋がった気がしたんですよ」
今までカーボヴェルデからブラジル、個人的な付き合いでどんどんレパートリーが広がっていったが。
「どんどん広がって、楽しい、面白いって、全部繋がっていった。ただ、自分には日本が一番遠かった。遠いんだけど、ブラジル移民やカーボヴェルデまで行ったマグロ漁船の人たちにすごく共感がありました。いつか同じような視点で日本のレパートリーを、自分の歌と言える日本の歌に出合いたいと思っていたら、そこで……しかも、民謡としてまったく知られていない歌ばかり。名も無き人が歌っていた詩! これぞ、本当の日本のポエトリーだと思った。その原風景を探そうと、事あるごとに通って、リサーチしていけばいくほど、また面白くて……。歌のふるさとを訪ね、どんな状況で歌われていたか、そこの人々に会って話を聞くうち、どんどん歌が自分の中に入って、自分の歌になっていった。それを2年続けた結果なんです」
稀有のアンテナが拾うのは、かつて権威がお墨付きを与えた民謡ではない。猥雑さや異端の香りを含む、市井の詩ばかり。“五木の子守唄”ブラジル版も、反戦詩の辛辣さ。有名な“下津井節”でなく、敢えてその源流の“トコハイ節”が選ばれたのも、喜びだ。
「(福岡県)行橋の人に、こんな歌と出合えて嬉しい。みなさん、ありがとう!って言ったら、でもあんた、アレ、夜這いの歌らしいで~、だって(笑)。そう、床這い! トーコハイ、トーコハイ!って……海の民が回った話をね、歌にして。もう、最高だなあと思って。この『にほんのうた』では、すごく多様な日本、複数の日本を、ひとつにしたかった。また、そのストーリーが面白すぎて……だってもう、全部ドラマだもん」
山唄に重なるビリンバウもオツだが、途中サンバヘギのリズムでカイミの歌に転じる“原釜大漁歌い込み”の仕掛けが、なんといっても彼女らしい。
「漁師の心とリズムは、世界どこに行っても同じなのね。福島の海って、今悲しいでしょ。(相馬)原釜も大変なことになっている。その道を、過去の原釜のすごく威勢のいい時代を、バイーアと組み合わせて、世界に繋げたくて……そう、漁師はそれぐらい、スケールの大きなDNAを持った人たちだったんですよ」
ミクロネシア起源の小笠原に伝わる恋歌、つましい作業歌に祈り歌……いずれも文章と併せて聴けば、それら風景が眼前に広がってくるよう。パーカッショニスト、渡辺亮のイラストがまた、想像を掻き立てる。
「全国の素晴らしい協力者の人々のお蔭です。〈こびとの歌〉の謎を解くために、だいぶ粘ったんですよ。音楽劇だと判って、もう感動しました。あれは偶然じゃなく、超自然的に出合わされたんだと思って」
生来「なぜなぜ嬢や」で、天草四郎の伝記マンガを描いて発表したという、驚きの少女時代。そんな彼女のおおらかな視座と集中力が、閉鎖的な巨大ムラ社会と化しつつあるこの国へ、きっと一石を投じるに違いあるまい。