稀代のシンガー・ソングライター、マデリン・ペルーの来日公演が9月13日(日)~15日(火)にBLUE NOTE TOKYOで開催される。96年にアルバム・デビューを果たし、〈21世紀のビリー・ホリデイ〉の異名とともにセールス面でも成功を収めた、ビタースウィートな歌声の持ち主。2014年の秋には、20年近いキャリアを2枚組に纏めたオール・タイム・ベスト『Keep Me In Your Heart For A While: The Best Of Madeleine Peyroux』も発表しており、今回のステージも彼女の足跡を振り返るスペシャルな内容になるという。低くふくよかでレイジーな声が、初秋の夜に染み渡る光景を思い浮かべるだけでもロマンティックな気分に浸れるはずだ。
マデリン・ペルーといえば、アメリカ出身ながらフランスの道端でバスキングしてきた経験が歌手としての素地を育んだというエピソードも有名である。その数奇なキャリアと今回の公演の見どころ、彼女のアーティストとしての特性である〈ドレスダウン〉の魅力を、音楽評論家の渡辺亨に紹介してもらった。 *Mikiki編集部
ノンシャランを体現していた歌と生き様
〈パリのアメリカ人〉がデビューするまで
70年代に少し流行ったディランIIの“プカプカ”を聴きたくなることがある。より正確に言うなら、自分からすすんで聴くのではなく、どこからかふと聞こえてくるのが望ましい。そんなシチュエーションが似合う曲だから。
ディランIIは、西岡恭蔵と大塚まさじのデュオ。“プカプカ”を作詞作曲した象狂象というのは、西岡恭蔵のペンネームだ。“プカプカ”は、俳優の原田芳雄をはじめ、さまざまな歌手や俳優にカヴァーされてきた。だから一度は耳にしたことがあるという人は多いはずだが、オリジナル・ヴァージョンの歌詞の一部を紹介しよう。
俺のあん娘(こ)はスウィングが好きで
いつもドゥビドゥビドゥ
下手くそなスウィングよしなって言っても
いつもドゥビドゥビドゥ
あんたがあたいのどうでもいいうたを
涙流すまで わかってくれるまで
あたい スウィングやめないわ
ドゥドゥビドゥビドゥビドゥ
主人公の女性は、〈私〉ではなく〈あたい〉、〈あなた〉ではなく〈あんた〉と歌う。しかも軽快というより、二日酔いの朝のように気怠そうにスウィングしながら。この女性のモデルは、今は亡きジャズ歌手の安田南だと言われている。安田南は、作家の片岡義男がパーソナリティを務めていたFM東京の番組の初代パートナー(74~79年)だったことでも知られる。その番組名は、「きまぐれ飛行船」。安田南自身もきまぐれな女性だったことを物語るエピソードがいつくかあるが、直接は知らない。ただ、彼女は、生放送中に突然泣き出したことがあった、可愛がっていた飼い猫が死んだばかりで、急に悲しみがこみ上げてきたらしい。
日本ではもうあまり使われなくなったが、〈ノンシャラン(nonchalant)〉というフランス語がある。語意は無頓着で呑気、投げやりなさまなどだが、人生に対するひとつの姿勢を示す言葉、と受け取っていいだろう。世間の常識からはみ出していて、斜に構えたところがあり、〈理〉より〈情〉を重んじ、あちこちを転々としながら自由気ままに生きている風来坊のようなキャラクター、あるいは生き方。初期のマデリン・ペルーは、こんな〈ノンシャラン〉を体現していた。だからマデリンの歌を初めて聴いた時、彼女に“プカプカ”の女性のイメージが自然に重なった。安田南は〈お行儀の悪いビリー・ホリデイ〉などと呼ばれていたそうだが、彼女もノンシャランな生き方をしていたからだろう。
マデリン・ペルー(Madeleine Peyroux)のファミリー・ネームはフランス系だが、彼女自身はジョージア州に生まれた米国人。ただし、父親は、かつてフランス領だったニューオーリンズの出身だ。マデリンは、子供の頃からこの父親が自宅で聴いていた古いジャズやブルースと自然に親しんでいた。なお両親は、ヒッピー的な精神の持ち主だったという。マデリンのノンシャランな姿勢は、ある程度彼らから受け継がれたものなのだろう。マデリンは南カリフォルニアやNYのブルックリンなどで育つが、両親の離婚を機に母親と一緒にパリに移り住んだ。娘にフランス系の名前を付けるほど元来フランスが好きだった母親が、パリにある銀行に職を得たからである。
ジョージ・ガーシュウィンの名曲の題名を借りるなら、13歳から22歳までの期間を〈パリのアメリカ人〉として過ごしたマデリンは、15歳の時からパリの路上でバスキングを始めた。彼女はこれ以前に母からウクレレを習い、それからギターを独学でマスターしていた。この15歳の少女はすぐに仲間内で評判になり、翌年にはロスロ・ワンダリング・ブルース&ジャズ・バンドに加わって、欧州各地をツアーした。