二組のカップルの物語から世界への視点を紡ぐ

 本作『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は、すでに各所で言われている通り、40代の夫婦と20代半ばの夫婦の交流を通じ、それぞれの価値観やモラルの違い、つまりどんなことを大切にしているかを浮き彫りにしながら、最終的に何を獲得したか(あるいはしなかったか)を描いた作品である。ジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は、子どもを持たず、二人で快適に暮らしている40代の夫婦。Apple 製品をいろいろと生活に取り入れた「スマートライフ」だ。夫であるジョシュはドキュメンタリー映画監督。8年もの期間を費やしていながらいまだに新作は完成しておらず、アートスクールの講師をして収入を得ている。妻・コーネリアはドキュメンタリー映画の巨匠ブライトバート(チャールズ・グローディン)の娘で、父の映画のプロデューサーも務めている。ある日、ジョシュが講義を終えると話しかけてきたカップルがいた。ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリッド)という若い夫婦だ。ジェイミーは監督志望、ダービーはアイスクリーム職人である。ジョシュに向かって「あなたのファンなんだ」と言うジェイミー。ここから年齢の離れた二組の夫婦の関係が始まる。

 週末、ジェイミーの作品を観に彼らの家を訪れたジョシュとコーネリアは、その暮らしぶりに驚く。DIY精神にあふれるジェイミーとダービーにすっかり刺激を受けたジョシュとコーネリアは、やがてジェイミーの作品制作に関わるようになる――。冒頭に述べたように、この映画のひとつの大きな主題は、二組の夫婦それぞれのジェネレーションにおける考え方や態度の相違である。ジェイミーとダービーは、現在のブルックリンの典型的なヒップスター。彼らにとっては、過去の事物は見知らぬもの=「新しいもの」なのだが、ジョシュとコーネリアにしてみたら「懐かしいもの」「時代遅れなもの」として映る。あるいは、「すべての物は皆の物だ 歌も物語も好きに使える」と語るジェイミーに対して「勘違いするな それは盗作だ」とジョシュが反論するシーンが映画の終盤に出てくるが、これなどもある事象の捉え方の問題が端的に表れているといえるだろう。

 ある物事をどのように認識するか。これはそのまま「ドキュメンタリー」というものの在り方を問い直すことにつながる(作中、ジョシュもジェイミーもブライトバートもドキュメンタリー映画を撮っているのは偶然ではない)。ジェイミーたちと出会った講義でジョシュは「記録映画の主体は他人 フィクションは自分」とゴダールの言葉を引いた上で、「では、記録映画は私的にはなり得ないのか?」と問い、続けてこう言う。「私は言いたい 記録映画が映し出すべきは自分だと」。また、自身の祝賀会でのスピーチでブライトバートはこう言う。「映画作家として 我々でなく我々の撮る物を見てくれと 客観性などないと言いたかった」。ジェイミーが撮った作品とそれに関する彼の考えはぜひ映画本篇にてご覧いただけたらと思うが、総じて言えるのは、すべてのドキュメンタリー映画は常に恣意的であるということである。ドキュメンタリーは、ある側面では真実だが、別の角度から事象を眺めればその限りではない。素材が事実であるというだけのことである。この点において、一元的な視点からでは世界は把握することはできないという、ごく当たり前だがつい忘れてしまう事柄を『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は思い出させてくれる。そう考えると、若いつもりでいる40代と野心を隠しながら成功を目論む20代のそれぞれの生き方を、どちらが正しいという描き方をしていないのも頷ける。オープンマインドに多様性を認めた上で何を選び取るかという問題は、スクリーンを飛び越えて鑑賞者に届けられる。エンドロールに流れるウィングスの《Let‘ Em In》が優しく響く。

 

映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』
脚本・監督・製作:ノア・バームバック
作曲:ジェームズ・マーフィ
音楽監修:ジョージ・ドレイコリアス
出演:ベン・ステイラー/ナオミ・ワッツ/アダム・ドライバー/アマンダ・サイフリッド/チャールズ・グローディン/アダム・ホロヴィッツ
配給:キノフィルムズ(2014年 アメリカ 97分)
(C)2014 InterActiveCorp Films, LLC
◎7/22(土)TOHOシネマズ みゆき座 ほか全国公開!
www.youngadultny.com