(C)久田元太・Genta Hisada

 

音楽家=マーカス・ポップのポップな新章

 前日のライヴでは、音楽が生まれるのを目の当たりにした、というと大袈裟――というより、ライヴはそもそもそのようなものだろうが、オリジナルでは6年ぶりの新作『popp』を引っ提げたオヴァルの2年ぶりの来日公演は、異能の人、マーカス・ポップの底知れなさをあらためて確認させる場だった。演奏は『popp』の楽想をもとにしたものだが、細部には異動があり、よりメロディアスな瞬間もあれば、リズムは輻輳し、舞台上のマーカスは過去の来日公演に較べても精力的に機材を操っているようにみえる。演奏時間はたっぷり2時間、翌日新宿のタワーレコードで行った公開トーク(をマーカスがやること自体往年のファンにはおどろきだろう)で、演奏時間が長すぎなかったかお客さんに訊ねていたが、めっそうもない。両のスピーカーから湧き出る音は、ダンスミュージックのニュアンスだが、リズムやメロディや装飾を担うパートのあいだに確定的な従属関係はなく、瞬間ごとの紐帯のなかで可変的な中枢をかたちづくる、そのシステム(アンサンブル)の中心にマーカスはいるのではなく、どこか外部の観測者めいていて、観測することが音に影響を与える、演奏者と音楽との量子的な関係さえ想起する、そのような演奏は、前世紀も終わりかけていたころ、『ovalprocess』で標榜したアイデアを、ポップな装いで再生する趣ではないか。

OVAL Popp oval 2/HEADZ(2016)

 たしかに2010年の『o』以降のマーカスの表現は音楽的だったが、タイトルの『popp』は音楽的な傾向ではなく、彼の姓を指す。アルバムの基調となったシステムについて、マーカスは公開トーク直前におこなった取材でこと細かに説明してくれた。すべてを書き記す紙幅は残念ながらここにはないが、複数の系統をわりあてたコントローラーを操作しながらリアルタイムで音を構造化する方法論には新奇さより機能性が通底していて、マーカスのいう「思考のスイッチを切らないダンスミュージック」を志向するに理にかなったものだった。構想の大元には「1995年の『94diskont』の雰囲気を現在の自分のルーツで再現する」狙いがあったという。むろん再現するだけでは懐古にしかならない。さらに、90年代に人為的な操作で実現していた音響も、いまはソフトウェアで自動生成できる。そこでマーカスはビートや声など、近年のオヴァルを特徴づけるエレメントをつけくわえるのだが、OPNら2010年代の電子音楽の展開とオヴァルのベクトルは重なるようで重ならない。私はむしろ、エルメート・パスコアールあたりの、表現がすなわち発明のような音楽家の佇まいに通ずるところがある、ルーツや音そのものとの語らい方において。