ドキュメントでないとすれば、その映画は、夢だ、というベルイマンの言葉が引用されたこのアルバムのライナーノーツにハッとする。とかく現実的な接点を持つことのない音楽は、本質的に常に夢、あるいは救済なのだろうと思う。そして、つまりベルイマンのこの言葉の引用はこのタルコフキーカルテットの音楽の領域を、タルコフスキー的な場所に聴き手を誘う仕掛けなんだろう。しかし、タルコフスキーの映画が映すように、人の現は、夢に犯され、惑う。この二つの領域は常に重なり合う。このカルテットの音楽は、タルコフスキーの夢の領域だけを、サウンドトラックを映像から剥がす、そんな試みなのだろうか。夢に夢を重ねる、それだけことか?