写真提供/COTTON CLUB 撮影/ 山路ゆか

2016年グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバムを受賞した注目の実力派女性ジャズ・ヴォーカリスト

 セシル・マクロリン・サルヴァントは、1989年生まれ。つまりまだ20代後半だが、この世代のジャズ歌手の中では群を抜く逸材だ。しかも、凡百の米国人ジャズ歌手と違って、〈クラシック〉と〈フランス〉が彼女の重要なバックボーンである。ハイチ人の父親とフランス人の母親の間にフロリダ州マイアミで生まれたセシルは、5歳からピアノを学び、8歳からクラシックの合唱を始めた。こんな彼女は、やがてオペラ歌手を目指すようになる。そして2007年にフランスに移り住み、エクス=アン=プロヴァンスにあるダリウス・ミヨー音楽院に入学した。

 「音楽院では、クラシックの声楽とバロック音楽の合唱、そしてジャズ・ヴォーカルを学びました。入学した時点では、オペラ歌手になりたいと思っていたし、また、同時に法律と政治学の勉強をしていたので、そちらの分野に進むことも考えていました。私にとってジャズはあくまでも趣味の範疇のもので、自分がプロのジャズ・シンガーになるなんて全然思ってませんでした。ところが、ジャズ・リード奏者のジャン=フランシス・ボネル先生が、〈この娘は絶対にジャズ歌手としてものになる〉と母を説得したこともあって、私自身もだんだんジャズにのめり込んでいきました」

 セシルは、フランス人の血を引くジャズ・ピアニストであるジャッキー・テラソンの 『ガッシュ』(2012)で、エリック・サティの歌曲“ジュ・トゥ・ヴー”を歌っている。

 また、自身の最新アルバム『フォー・ワン・トゥ・ラヴ』(2016)では、シャンソン歌手バルバラの“孤独のスケッチ”を取り上げているし、フランス盤にはボーナス・トラックとしてダミアの歌で知られるシャンソンも収録されている。〈クラシック〉と〈フランス〉がセシルの音楽を紐解くキーワードであることは、これらのことからも明らかだろう。ところが……。

 「子供の頃、私の家では父のルーツであるハイチの音楽をはじめ、アフリカ音楽、米南部の音楽、クラシック、R&B、ポップ、さらにはカーボベルデやウルグアイ、アルゼンチンの音楽など色々な音楽が流れていました。その大きな理由は、母はチュニジアに生まれ、アフリカ、南米、アメリカ合衆国を転々として育ったからです。こんな音楽的環境で育ちましたが、私がエディット・ピアフ以外のシャンソン歌手を、知ったのはフランスに移り住んでからです。フランスで知り合った女性の友人に、私が聴くべきシャンソンのリストを作ってもらい、このことをきっかけにシャンソンの魅力に目覚めました。バルバラのヴィデオを観ることを薦めてくれたのも、その彼女です。“孤独のスケッチ”を初めて聴いたときは、まるで私の心の中を見透かされたというか、それほど自分と深い繋がりを感じました。この曲はとても憂鬱で、孤独感を抱えた主人公は自殺願望を仄めかしている。けれど、希望を捨ててはいないという気持ちが伝わってくる曲なので、私の心の琴線に触れ、自分でも歌ってみようと思うようになりました」

 セシルは、とりわけ20~30年代のジャズとフランスの音楽に惹かれているという。彼女と話をしているうちに、20年代半ばに米国からフランスに渡って、チャールストンでパリの人々を魅了したジャズ歌手兼女優のジョセフィン・ベイカーを思い起こした。

 「私とジョセフィン・ベイカーのヴォーカルのスタイルはかなり違うので、自分を彼女に重ね合わせたことはありません。けれど、ジョセフィンにはずっと憧れていましたし、今年下半期にリリースする新作では、彼女のレパートリーを一曲取り上げています」

 セシルは、ラージ・アンサンブルを率いているカナダ人ジャズ作曲家ダーシー・ジェームス・アーギューとのコラボレーションによる舞台およびアルバムのプロジェクトも進めているとのこと。また、彼女は今回の来日公演では、イッセイ ミヤケの黒いドレスに身を包んでいたが、現在のダリウス・ミヨー音楽院の設計者は隈研悟であることを指摘すると、川端康成の「みずうみ」、安部公房、舞踏(butoh)、和食など日本に関する話題が続々……インテリジェンスにあふれる彼女との会話は楽しく、もっともっと話をしたかった。