酒井健太、佐藤優人
 

2008年に山形で開催されたイヴェント〈DO IT〉は、ここ日本のアンダーグラウンド音楽史に残る事件だった。その数年前、地元山形市のライヴハウスから生まれたこの定期イヴェントは、徐々にその熱気が県外まで広がっていき、2008年に満を持して規模を拡大。オーガナイザーである地元のパンク/ハードコア・バンドの面々はもちろん、曽我部恵一BANDやbloodthirsty butchers、LOSTAGEらオルタナティヴ・シーンの顔役たち、さらに北海道のThe SunやDischarming Manや九州のaccidents in too large fieldまで、まさに全国各地からインディペンデント・ミュージシャンたちが一同に揃ったその様相は、アンダーグラウンド・ミュージックの祭典としていまや語り草となっている。実際、それは〈テレビの中の音楽より隣で鳴ってる音楽のほうがメチャクチャカッコいい〉という〈DO IT〉の売り文句を地で行くものだったのだ。

あれから10年。どうやら〈DO IT〉はさらなる進化を遂げているようだ。2008年の大爆発以降、しばしの休止期間を経て、開催地を酒田市の工業地帯に移してからの〈DO IT〉は、DIYフェスとしてのスタンスを頑なに守りながらも、地域のコミュニティー全体を巻き込んだイヴェントとして発展。もちろんそのラインナップは有名無名を問わず、どれも商業主義には阿らない猛者たちばかり。なかでも〈DO IT 2018〉で注目したいのは、オーガナイザーであるFRIDAYZをはじめとした、山形のローカル・シーンで活躍するバンドたち。ストレイテナーのホリエアツシやクリトリック・リスまでもが横並びになった、そのカオティックなラインナップにさりげなく加わっている彼らは、きっと10年前にその盛り上がりぶりが顕在化した山形インディ/オルタナティヴの〈イマ〉を見せつけてくれるだろう。少なくとも〈DO IT 2018〉が他の音楽フェスとはあきらかに一線を画した、刺激と興奮に満ちた1日になるのは、まず間違いない。

ということで、早速ここからは当事者たちに話を聞いてみよう。今回のインタヴューに応えてくれたのは、FRIDAYZのリーダーにして酒田でライヴハウス〈hope〉を営む酒井健太と、彼とともに主催を務める佐藤優人。2人との対話から〈DO IT〉の歩みを振り返りつつ、今年の見どころを探ってみたい。

 
 
〈DO IT 2016〉の模様
 

あくまでもライヴハウスで生まれたイヴェント

――まずは2008年のことを振り返ってみたいのですが、お二人は当時の〈DO IT〉にどう関わっていたのですか?

酒井健太「自分はボランティア・スタッフをやってました。当時の〈DO IT〉を主催していたSHIFTやAKUTAGAWA、WHAT EVER FILMは憧れの存在だったし、なにか手伝えたらいいなと」

佐藤優人「僕はお客さんでした。その頃は東京に住んでいたんですけど、あるときに友達から〈なんかお前の地元ですごいイヴェントがあるらしいじゃん〉と言われて、〈え、そうなの?〉と。そしたらタワーレコードの新宿店で〈DO IT〉のフライヤーを見つけて、それで実際に行ってみたら、ものすごい衝撃を受けまして。しかもそのあとに調べてみたら、どうやらこの〈DO IT〉というイヴェント自体は2003年頃から続いているらしいぞ、と。もう大反省ですよね。僕はそんなシーンが存在していたことも知らず、〈山形には何もないから〉という理由で東京に進学してきたんですから」

〈DO IT 2008〉でのSHIFTのライヴ映像
 

――発足当時の〈DO IT〉はどういうイヴェントだったんですか?

酒井「元々〈DO IT〉は山形市で2003年から開催されていたイヴェントで、サンディニスタというライヴハウスを中心に開催されていました。自分が遊びに行っていた頃の〈DO IT〉も地方ではなかなか観られないようなバンドがたくさん出演していたし、普段のサンディニスタのシーンも含めて、今思い出しても当時のシーンはヤバかったです。僕らの住んでいる街は山形から車で2時間ぐらいかかるんですけど、週末はみんなで乗り合いしてサンディニスタに夢中で通ってました。そうしていくうちにイヴェントのキャパが収まらなくなってきて、それが2008年に爆発したっていう印象です」

――2008年の会場となった映画館の跡地はどういう場所だったんですか?

酒井「〈DO IT〉への出演バンドがどんどん増えていって〈これじゃ収まらないぞ〉というなかでいろんな場所を探して辿り着いたのが、あのシネマ旭の跡地だったらしいんですけど、ボランティア・スタッフとして関わらせてもらった自分の目から見ても設営がもう大変で(笑)。例えば、映画館だから当然常設の椅子があるわけじゃないですか。まずそれを撤去しなきゃいけないってことで、スタッフのみんながスパナで1つずつ外していくとか(笑)。何百とあるんですよ。椅子を外したら次は床から飛び出たボルトが危ないからコンパネを敷いてみようかとか、そういうこともぜんぶ自分たちでやってたんです。その作業もなんですけど、そのDIYで前向きな考え方とかも含めて本当に当時の自分は衝撃を受けました」

〈DO IT 2008〉での曽我部恵一BANDのライヴ映像
 

――まさにゼロから自分たちで設営したわけですね。いまやその〈DO IT 2008〉は伝説的なアンダーグラウンド・フェスとして語り草になっていますが、それ以降はどうなっていったんですか?

酒井「2008年の〈DO IT〉は過去の開催と比べても本当に規模が大きく、それを全て自分たちの手だけでやっていたので負担も相当大きかったんじゃないかと思います。みんな普通に仕事や学校、家族もいるし、バンド以外の生活もあるわけで。当時の自分は主催側ではなかったので、あくまで自分の主観ですが、求められるものも大きくなり、本来ライヴハウスが中心だった〈DO IT〉というイヴェントとの間で葛藤があったんじゃないかと。それ以降〈DO IT〉は一旦ストップして、開催されない時期が続きました。でも、なんとかしたいっていう気持ちはやっぱり皆にあって。それで2008年にスタッフをやっていたショウタ君が、2013年に〈DO IT〉をサンディニスタでの2デイズ・イヴェントとして復活させたんです」

――まずは原点回帰したわけですね。

酒井「そう。〈DO IT〉はあくまでもライヴハウスで生まれたイヴェントだから、一度そこに立ち返ろうと。2013年はちょうどFRIDAYZがセカンド・アルバム『HOPE』を出したタイミングだったし、自分も地元で〈酒田hope〉というライヴハウスを始めていたのもあって、その頃から次の〈DO IT〉は自分がやりたいなと思うようになりました」

 

地方のちいさなコミュニティーだからこそ実現できること

――酒井さんが地元でライヴハウスを始めようと思ったのは、どんなきっかけで?

酒井「やっぱりそこも〈DO IT 2008〉の影響も強くて。僕は〈自分たちで作る〉というハードコア・パンクの根本を〈DO IT〉で目の前で見せてもらったし、先輩たちがあのとんでもない景色を作れたのなら、自分にもライヴハウスくらいは作れるだろうと。実際、こうしてハコを持ったことで自分がやれることもすごく広がったんですよね。それこそ優人もウチのライヴハウスで企画を組んでくれてますし。優人と出会った頃は2人でよく〈DO IT〉の話もしていたので、今ならもしかして酒田でやれるんじゃないかなと思えたんです」

酒田hopeでのFRIDAYZのライヴ映像
 

――優人さんはどのような企画を?

佐藤「2015年から〈ドゥワチャライク〉というイヴェントを始めたんですけど、このイヴェントには毎回8バンドくらい出演してもらうのと同時に、地元のラーメン屋とかクラフト作家にも出店してもらってて。それって僕のなかではラーメン屋とバンドが対バンしているイメージというか(笑)。そうやってライヴハウスにいろんな入り口を用意して、普段そういう場所に来ない人たちにもどんどん足を運んでもらいたいなと」

――そこにはライヴハウスだけでなく、地域全体を活性化させたいという想いもあるのでしょうか?

佐藤「そうですね。良いところはちゃんと紹介していきたいし、僕らが住んでいるのはそこまで大きなコミュニティーではないから、友達を辿っていけばけっこう何でもできちゃうんですよ。たとえば〈DO IT 2016〉のCMには酒田市長に出演してもらったんですけど、同じようなことを都内の区長に頼むのは大変じゃないですか。それって地方のちいさなコミュニティーだからこそ実現できることだと思うし、住んでいる人たちがそこに気付いていけたら、もっと地元に親近感が持てるんじゃないかなって」

酒井「実際、そうやって街全体を巻き込んでいかないと地方シーンはなかなか回らないんですよね。例えば昔バンドやってた近所のラーメン屋さんが、hopeでライヴを観てまた楽器を持ってバンドを始めたり。先輩のお店で先週hopeにツアーで来たバンドのCDが流れてたり、自分たちが〈DO IT〉をやるならそういうことが大事なんじゃないかなって」

 

地元のおじいちゃんがギターウルフのライヴを観ていた

――〈DO IT〉から地元のコミュニティー全体を繋げていこうと。

酒井「ただ、自分はバンドもそうなんですけど、いつも思想ばかり先行するところがあり……。いざ〈DO IT〉を開催すると決めたのはいいけど、〈じゃあいったい酒田のどこでやればいいんだ〉と場所も決まらないままスタートしてしまって(笑)。市内中の不動産屋をまわって、行政の施設や市役所にも相談に行ったんですけど、本当にもう全滅でした。半年ぐらい探したかな」

佐藤「そこでひたすら探し回った挙句、〈海沿いの工業地帯なら音も出せるんじゃないか〉という話になって。知り合いのツテで〈グリーンシステム〉というリサイクル工場の倉庫を紹介してもらったんです。そしたら、そこの社長さんがものすごく好意的で」

酒井「いきなり〈会社の倉庫でフェスをやらせてくれ〉とか、間違いなく警戒されるだろうと思ってたんですけど、話してみたらもう即答で〈いいですね。やりましょう〉と。神と出会った気がしました(笑)」

佐藤「しかも、その社長さんが〈ウチの娘もここでライヴやったことあるんだよ〉と言うから、〈へえ。娘さんはどんな音楽をやってるんですか?〉と訊いてみたんですよ。そしたら〈テニスコーツってバンド〉と返ってきて、マジかよと」

マヒトゥ・ザ・ピーポー with NEVER END ROLLERSの演奏にテニスコーツのさやが参加した〈DO IT 2016〉でのライヴ映像
 

――えー! それはすごい話。

酒井「びっくりですよね(笑)。それでようやく会場が決まりスタートしました。スタッフみんなで倉庫内を掃除したり、寸法を測ってステージのレイアウトを決めたり、会場の装飾はどうしようかを考えたり。ビールはどれくらい用意したほうがいいのか? 人はどれくらいビールを飲むと膀胱が埋まるのか? その場合は集客数に対して、どれだけの仮設トイレが必要になるのか?とか。時間×ビール×膀胱×人数の方程式をみんなで真剣に計算して」

――(笑)。そんなにこまかいところまで自分たちで考えるんですね。

酒井「フェスに何個トイレが必要か教えてくれる人は酒田にはいないので(笑)。会場で使う電力のことなんかもそうだし。それこそ消防法の条例を読み漁ったり」

佐藤「そういうのって、イヴェント会社に頼めばすぐになんとかしてもらえるんでしょうけど、〈DO IT〉はそれじゃダメなんですよね。このイヴェントは自分たちで全部やると決めてますから。とはいえ、2016年は我々にとっての1回目だったので、なにをやるにも手探りだった」

酒井「それこそ普段普通に営業している会社の倉庫に1日だけのライヴハウスを複数作ろうとしているわけで、当然ブッキング以外にも予算が相当かかります。バンド仲間や普段ライヴハウスに通うお客さんがスタッフとして一緒に動いてくれて、みんなが酒田市内全域を駆け回って協賛を取ってきてくれたり、いろいろなお店にポスターを貼ってもらったり。自分の働いてる会社からストーブや電源ドラムを持ち寄ったりまで(笑)。〈DO IT 2016〉が地域全体を巻き込んだイヴェントになったのは、そういう人たちのおかげなんですよね。実際、地元のおじいちゃんがギターウルフのライヴを観てましたから(笑)」

 

――それは素晴らしい光景ですね。では、開催地を山形から酒田に移したことは〈DO IT〉にどんな変化をもたらしましたか?

酒井「そこはけっこう大きくて。同じ県内でも酒田市と山形市ではアクセスがまったく違うので」

佐藤「電車だと、東京から山形市なら新幹線ですぐに来れるんですけど、酒田市はどうしても乗り換えが必要になるので、鈍行を乗り継いだり、最低でも4時間はかかるんです」

酒井「宿泊施設もそんなに多くないし、いざ全国から人を集めようとするといろいろと大変で。かといって、当然ブッキングは妥協したくないんですよ。やっぱり〈DO IT〉にはトガってるバンドをたくさん呼びたい。でも、地元の人からすればアンダーグラウンドのバンドを知らないのは当然なわけで、地元の人たちには〈とにかくおもしろいライヴが観れるからきてほしい〉としか言えなくて。そこのバランスはすごく難しいんですよね」