西ロンドンを拠点に活動、日本人ドラマーのJay Hiranoを擁する若き4人組、スマイリー&ジ・アンダークラスの初作『Rebels Out There』が日本盤でリリースされた。パンクとレゲエをブレンドしたサウンド、ポリティカルなメッセージ性の高い歌詞から、〈クラッシュの再来〉とも称される彼ら。では、エピゴーネンに終わらない彼ら独自の魅力とはどんな点にあるのか? 音楽評論家/写真家にして、生前のジョー・ストラマーとの親交も深かった久保憲司が、その現代性と可能性を解いた。 *Mikiki編集部
バンドでは食えないから、まず自分の生活をなんとかしよう
すごいバンドがロンドンから出てきました。何がすごいって、日本人ドラマーのJay Hiranoが作ったバンドだからです。FNMNLのインタヴュー記事によると、Jayさんは18歳のときに渡英して、語学学校の初日に「どうやったらイギリスでバンドができますか?」と尋ねたそうです。そして、先生にメンバー募集の載っている雑誌や張り紙を貼ってある場所を教えてもらったという強者。
僕もいまから37年前、17歳のときに渡英したんですけど、バンドは難しいだろうとカメラマンをめざしました。〈カメラマンだったら英語喋れなくってもなんとかなるだろう〉という甘い考えでした。Jayさんはメンバーとの連絡も辞書を見ながらやったそうです。僕はめんどくさかったので、辞書など見たこともなかったです。この頃Kindleで英語の本を読むようになって単語を調べるようになりました。ずっと文盲でした。こんなんじゃいけないと53歳にして英語を勉強して、初めてTOEICを受けました。675点というむっちゃ普通の点数でした。
Jayさんが偉いのは、その後ロンドンでバーを始めたことです。ZOZOTOWNの前澤さんといい、いまの若い人はバンドでは食えないから〈まず自分の生活を自分でなんとかしよう〉という発想で素晴らしい。僕らの頃にはなかったです。みんな日本のレストランでバイトして、時間を全部バイトにとられ、バンド活動を思うようにできず、挫折していきました。僕もその1人です。カメラマンをめざすといいながら、ちょっとバンド活動にも手を染めたりもしていました。いつも僕の夢は〈バンドで頂点に立つ〉なのです。僕の友達でバンドとして成功したのは元ガン・クラブのベース/ギターとなったロミ(・モリ)くらいです。あと日本人で成功された方といえばフィーダーのタカ・ヒロセさん、僕より前の世代だとペンギン・カフェ・オーケストラなどで有名なクマ原田さんなど、本当に数えるくらいしかいないのです。
ノッティング・ヒルのパンクス
Jayさんのバーに「ライヴやらせて」と1人でギターを持って入って来たのがヴォーカルの(ジョージ・)スマイリーだそうです。それがこのバンドの始まり、かっこ良すぎるじゃないですか。彼らが拠点としている場所はノッティング・ヒルというエリア――「ノッティングヒルの恋人」(99年)という映画があるので、素敵な場所というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、元々は元植民地から来た黒人たちが住みはじめ、それを嫌った白人たちがその場所を離れ、その空き家にボヘミアンたちが住みだしたことでアーティストの拠点となったエリアです。その時代のノッティング・ヒルの空気感を映画にしたのがローリング・ストーンズのミック・ジャガーが主演した「パフォーマンス」(70年)。そして、そんなボヘミアンの子供たちがパンクスとなったのです。
クラッシュのメンバーたちがスクワット(空き家に勝手に住むこと)をしていたのもノッティング・ヒル、正確に書くとラッドブローク・グローヴでした。実は僕もロンドンに初めて住んだ場所がラッドブローク・グローヴで、ミック・ジョーンズとジェネレーションX、ジグ・ジグ・スパトニックのトニー・ジェイムスがスクワットしていた場所の隣の家でした。でもその頃にはラッドブローク・グローヴも家賃が高くなっていて、僕は家賃が払えず、すぐに追い出されて、北の方に引っ越しました。〈あのままノッティング・ヒルに住んでいたらどんなに楽しかっただろうな〉といまも思います。
そんな場所にJayさんはお店を構えているなんてうらやましいし、しかもいまなんて家賃がどんだけ高いんだろうかと身震いします。ミック・ジョーンズ、ポール・シムノンなどはまだみんなそのあたりに住んでいるんですよ。そして彼らはJayさんの店によく来るそうです。やっぱ日本人が経営している店は、他の店よりもサービスが行き届いているのかもしれませんね。そんな常連客のミック・ジョーンズは、Jayさんのバンドに「自分ちのスタジオを使え」と声をかけ、このアルバムが出来上がったのです。またまた偶然なんですが、僕もミック・ジョーンズの家の地下をスタジオにした場所に何回も行っているんです。多分、今も同じ場所だと思うのですが。
地に足をつけたうえで、流行とは真逆をやる
そして、このアルバムでもう一つ重要な要素はUKダブ・レゲエのパイオニア、ニック・マナッサのスタジオも使っていること。ニックとの出会いは、楽器車が壊れてレスキューの人が車をガレージに移動し楽器を降ろしていたら、近所の人が「お前はミュージシャンか、隣もスタジオだぞ」と教えてくれたそうです。
そうやって出来上がったアルバムが悪いわけないじゃないですか、初期のクラッシュを思い出すパンク・レゲエの傑作。アメリカのスカ・パンクとは違ったちょっとビネガー(イナタい感じ)で、哀愁ある感じが気持ちいいです。これこそブリティッシュ・レゲエです。全体的にはゆっくりしているようで、音楽の奥から熱い思いがじわじわと伝わってくる感じ、いまの音楽にはあまりないものですよね、それを彼らは持っているのです。
一曲目“It’s All England”の切ないトランペットに合わせて〈俺はイギリスのいろんな場所に住んだけれど、俺の理想とするイギリスはこんなのじゃないんだ〉と歌うスマイリーのヴォーカル、クラッシュのジョー・ストラマーを思い出させてくれて涙が出てきます。しっかりとリズムを刻みながらも時折メロディアスになる、ツボを心得たレゲエ・ギターを弾くジェームス・シェパード、ルックスを見るかぎりまだ若そうなのにへヴィーなグルーヴを生むデレク・ダリーのベース、完璧な4人です。
Jayさんは「いいバンドや上手いバンドはみんな30代」と言っているそうですが、20代でこの感じはいいです。みんな地に足をつけている感じに未来を感じます。いま音楽で売れるためにはプロデュースをしっかりとやって、誰が聴いても好きになる音楽をやらないといけない時代なんですけど、ようするにそれはストリーミングでみんなが聴くような音楽を作らないといけないということ。彼らがやっていることは、それとは正反対のことだと思うのですが、これからバンドがどういうふうに成長していくのかが楽しみです。なんかとんでもないことをやってくれそうな予感がします。
★参考記事 ロンドンでミュージシャンとして生きること | Glastonburyへの出演も決定したバンドSmiley & the UnderclassのJay Hiranoに聞く