15年振りの新作『ロックブッダ』(2018年)で復活を遂げた孤高のシンガー・ソングライター、国府達矢。それから1年という短い期間で、2枚の新作が届けられる。『スラップスティックメロディ』『音の門』はどちらも宅録で、『ロックブッダ』とは違ったサウンドを展開。それでいて、この3作は繋がっていて、あわせて聴くことでそれぞれの作品は奥行きを増すという。身も心もボロボロになっても、音楽を作るということを宿命づけられた男を突き動かすものは何なのか。いま、暗闇を抜けて光に向かって歩き始めた国府に話を訊いた。
死に向かっていくなかで、最後の執着が“青の世界”だった
――今回の2枚のアルバムは『ロックブッダ』制作中に生まれたそうですね。その背景について教えてください。
「『ロックブッダ』の制作の長期化とプライヴェートで起こった最悪の事柄のコビネーションのせいで鬱になって、3年くらい廃人みたいになって過ごしていたんです。そうなると音楽も作れなくなって、あらゆることに対する執着がどんどんなくなって死に向かっていくんですよ。
でも、そんななかで“青の世界”っていう曲に対する執着が残っていることにふと気付いたんです。2002年に作った古い曲なんですけど、〈良い曲だから人に聴いてもらいたいな〉とずっと思ってた。それが生に対する最後の執着だったんです。そのうち、〈ストックしている曲のなかで“青の世界”みたいな曲を集めたら、すごくメロディアスなアルバムを作れるんじゃないか〉というアイデアが固まっていった。それが『スラップスティックメロディ』になったんです」
――曲は作れなくてもストックはいろいろあったんですね。
「いっぱいありました。〈この曲、どこで使うの?〉っていうような曲がたくさん(笑)、そういうものを集めて、ひとつのアルバムにしたんです」
――そして、そこで曲を選ぶ規準はメロディーだった。
「もともとメロディーっていうものを信じてきたし、そこに魅力を感じて生きてきたので、その集大成みたいなアルバムを作れないか。〈どうせ死ぬんだったら、全部出し切って死ねばいいじゃん〉って思ったんです。例えばニルヴァーナで言うと『Nevermind』(91年)みたいに〈全部シングル・カットできるんじゃないの?〉っていうアルバムってたまにあるじゃないですか。そういうメロディアスなアルバムを作れるのではないか?っていう想いが、僕の生の執着になったんです。
作り始めたときから宅録でデモテープの延長ぐらいのものでいいって思ってました。まあ、リハビリですよね。人生も含めて、すべてにおいてリハビリ的なアルバムだったんです。『ロックブッダ』のときもレコーディングを手伝ってもらった前田陽一郎くんがたまに来てくれて、2人でコツコツやって、結局1年ぐらいかかっちゃったんですけど」
間違えて傷だらけになって、少しずつ進んでいく
――緻密に音が作り込まれた『ロックブッダ』とは対照的に、ギター中心のシンプルなサウンドですね。
「あくまでメロディーが主体なので、『ロックブッダ』のときみたいに〈すごくおもしろいことをしよう〉っていう感じは全然なくて、すごくシンプルなものでいいんじゃないかって思ってました。なので、僕としてはとても普通のものを作ったっていうか(笑)。〈突出した感じはないけど楽曲は良いでしょ?〉っていうものになっていると思います。曲を肉付けするときもシンプルにして、あんまりガチャガチャしすぎない。最低限、何かおもしろいことはやるようにはしましたけどね」
――ギターもあまりエフェクトをかけていませんよね。
「ギター・サウンドで言うと、家にある機材でできる範疇のことしかやってないです。ライヴでも基本的にノンエフェクトで演奏していて。ギターのクリーントーンに、ちょっとだけ歪みがキラキラとまぶしてあるぐらいが好きで、このアルバムもそんな感じです」
――ヴォーカルに関しては『ロックブッダ』のときとの違いはありますか?
「なかなか満足できなくて、歌録りにはすごい時間がかかりました。ちょっとした抑揚でエモさが変わってくるんで。結構、カッコつけて歌ってるところもあると思うんですけど、ここはカッコつけずにとか、そういう采配をしながらやっていきました。ゴールが見えててそこをめざすというよりは、間違えて、間違えて、ちょっと気付いて、前進して……という感じですね。傷だらけになって進んでいく。僕はすべてにおいてそうなんですけど」
――試行錯誤の繰り返しだったんですね。
「そうですね。自分が思う〈美味しい〉〈美しい〉ものに達するにはどうしたらいいのか?っていうことを試行錯誤しながら。あと単純に、その頃って精神的にひどかった時期だから、声が出なくなっちゃったんですよ。食事を2か月とらなかったり、かと思ったら過食で一気に20kgぐらい太ったりとか、むちゃくちゃな時期だったんですよね。人ともずっと喋ってないから声が出なくて、思う以上に歌うのに苦労しました。歌入れもリハビリでしたね」
僕がしたいのは横断
――メロディーを大切にしながらも、タイトルに〈スラップスティック〉という言葉を付けたのはどうしてでしょう?
「『ロックブッダ』で歌を自分なりに解体して、ギターも解体して、音を情報的に扱いながら、情念もちゃんとそこに込めたアルバムを作ったつもりだったんです。その後、『スラップスティックメロディ』で歌モノを作ったときに、すごく〈歌〉っていうものが大袈裟に思えたんです。メロディーは好きなんですけどね。メロディーがドタバタして大袈裟なもの、スラップスティックなものに思えて、このタイトルを付けたんです」
――たしかに『ロックブッダ』のあとだとそう感じるかもしれないですね。リスナーもこんなストレートなアルバムが来るのを意外に思うかもしれない。
「〈『ロックブッダ』の国府達矢〉と思って聴いた人は、落胆するかもしれないですね(笑)。それははじめから思ってます。ある種のパラダイムとかエクリチュールを横断できない人は楽しめないんじゃないかと思うんですよ。僕がいま何がしたいかっていうと、結局その横断なんですよね。
ある種の強度や質を軸に、フォルムやモードを横断する。『スラップスティックメロディ』は音質もあんまり良くないし、クォリティーすら横断するっていう。そういう、縦横無尽に横断している部分を楽しんでもらいながら、〈それぞれのどこが良いのか?〉っていうのを探したり見つけたりしてもらえると嬉しいです」
――『スラップスティックメロディ』からは、『ロックブッダ』では見えなかったソングライターとしての側面やシンガーとしての魅力が伝わってきます。国府達矢というミュージシャンのパーソナルな面も見えてくるので、一緒に聴くことで発見は多いですよね。
「だと嬉しいです。相互作用で、それぞれのアルバムが深みを増す。『音の門』に関しても同じことが起こるんじゃないかと思います」