以下は余談で、ぼくが志村けんともっとも接近した日の話。
去年(2019年)の暮れ、縁あって高木ブーさんの取材をすることになった。取材場所は、ドリフターズのメンバーが所属するイザワオフィスの一室。ブーさんも着席し、取材が始まろうというタイミングで事務所の方が部屋に見えた。用向きはもちろんブーさんへのごあいさつなのだが、ちょうど隣の部屋で志村さんが打ち合わせをしているのだという。
〈え!〉と声に出てしまいそうになり、心のなかが波打った。たったいま、志村けんが隣の部屋に? もしやブーさんに会いに、あのドアを開けて部屋に入ってきやしないか。ドキドキ。
その日、結局、志村さんは部屋には現れなかった。
よく考えてみれば、ドリフターズの最年少メンバーだった志村さんが最年長の大先輩であるブーさんの取材を邪魔しにくるような態度をとるわけがない。そういうトラディショナルな芸能の節度も、志村さんの心身にはしっかり刻まれているものだろうと思った。もうひとつ言えば、〈ばかばかしいことをする〉ということと〈人をばかにする〉ということは永遠に違う、と志村さんには教えてもらった。
80代半ばを超えてもブーさんの記憶力や語り口は見事なものだった。僕らも志村さんのことはすぐに忘れて、ゆったりとしたブーさんの話術に魅了されていた。
取材の流れで、バンドとしてのドリフの話になった。ブーさんが語ったのはこんなこと。
「志村が加入してからもバンドとしてやろうとした時期があったよ。荒井はキーボードだから、音の隙間を埋めてくれたんだけど、志村はギターしか弾けなかったからうまくいかなかったな……」(筆者要約)。
いかりやさんの自伝「だめだこりゃ いかりや長介自伝」(2001年)にも、おなじようなエピソードが書いてあった記憶がある。そのとき、志村さんはどんなカッティングを弾いていたのか、想像してみたくなる。
でも、バンドマンにならなかったおかげで、ぼくらは志村さんのギャグを通じて音楽を教わった。だから、だめだこりゃ、じゃなくて、だいじょうぶだぁ。