2021年6月18日、〈エレキの神様〉こと寺内タケシが82歳でその人生の幕を下ろした。

62年に寺内タケシとブルージーンズを結成、その後エレキ・バンドとしてスターダムへと駆け上がった寺内タケシは、民謡からクラシック、歌謡曲まで幅広い音楽に取り組み、日本の音楽シーンを一変させた。彼の功績や遺産は、まさにこの国の大衆音楽史を語るうえで避けて通れないものだ。

そこで今回は寺内タケシへの追悼として、ポピュラー音楽研究を専門にする大阪市立大学教授・増田聡が寺内の功績について綴る。 *Mikiki編集部


 

寺内タケシは〈エレキ・ギターの神様〉だが、決して〈ロックの神様〉ではない。エレキ・ギターのサウンドはロックの象徴かもしれない。だがエレキ・ギターはロックのためだけの楽器ではない。寺内タケシのあゆみはわれわれが忘れかけている〈ロックにとどまらないエレキ・ギター〉のあり方を教えてくれる。

寺内タケシは1939年に茨城県の資産家の家に生まれ、幼少期より小唄と三味線の家元であった母からそのてほどきを受けている。やがて兄が持っていたギターに強い関心を抱き、自己流でピックアップを取り付けエレキ・ギターを作り上げた。しばしば自称した〈世界で最初にエレキ・ギターを作った〉という事実は正確なものとはいえないが、彼が自力でエレキ・ギターを作り上げたことは確かだ。

やがて〈エレキ・ギターの神様〉と呼ばれるようになるその活躍はあえて繰り返すまでもない(「テケテケ伝―Terry’s Special Electric Life」(講談社)他の自伝にそのあゆみは詳しい)。65年のヴェンチャーズ来日により爆発したエレキ・ブームは彼をスターにしたが、同時期に栃木県の足利市教育委員会が、生徒の不良化を促進するとして〈エレキ・ギター禁止〉を申し合わせたことで、この楽器のサウンドは社会問題化する。寺内はエレキ・ギター排斥の風潮に抗い、全国の高校を回ってハイスクール・コンサートを行うとともに、クラシック曲や日本民謡をその高い技術で演奏し、この楽器の音楽的可能性を世に訴えた。

いまから眺めると滑稽とも思えるエレキ追放の風潮(当時は〈エレキ・ジャズ追放〉と呼ばれた)だが、エレキ・ギターの新奇なサウンドは、当時の日本社会において若者の反抗イメージと結びつけられたことで摩擦をきたした。ロックが〈反抗の音楽〉とみなされていた時代ゆえに生じた摩擦であったが、寺内はエレキ・ギターをロックの枠から解放し、あらゆる音楽を奏で、この楽器の可能性を無限に広げようとした。彼のあゆみとは、エレキ・ギターをロックという狭いサブカルチャー音楽の重力から解放することだった、と言えるかもしれない。

極東の島国である日本には、古来から外来の音楽や楽器が流れ着き、そして土着化していった歴史がある。古くは雅楽の伝来から、中世の三味線、そして近代の西洋音楽や西洋楽器にいたるまで、物珍しい異国の文化は咀嚼され、摩擦を乗り越え、この社会に適合したかたちで馴染み、定着していった。今では名も知られぬ担い手たちの奮闘によって、この社会の音楽や文化は今このような姿で存在する。寺内タケシもまたその文化の担い手たちの系譜に連なる存在といえるだろう。

はっぴいえんどはロックを日本語化したかもしれない。しかしそれに先立って寺内タケシはエレキ・ギターを日本に土着化させた。その功績はより広く、より深い。21世紀の若者が寺内タケシの名前を知らないとしても、彼ら彼女らがエレキ・ギターに気軽に親しみ、楽器を抱えて電車に乗る光景を当たり前にしたのは、この〈エレキ・ギターの神様〉の情熱がもたらした帰結である。

 


PROFILE: 寺内タケシ
1939年生まれ、茨城・土浦出身。5歳にしてギターを始め、電話のコイルを並べたピックアップでエレキ・ギターを製作し、関東学院大学在学中にプロ活動を開始。62年、寺内タケシとブルージーンズを結成しエレキ・ブームの仕掛人となり、加山雄三主演の映画「エレキの若大将」(65年)などにも出演したエレキ・ギターの草分け的存在。ヒット曲に“運命”“津軽じょんがら節”など多数。世界中のエレキ・ファンから〈エレキの神様〉として敬愛されている。 近年はエレキ禁止令に端を発し、エレキの証明のために始めた〈芸術鑑賞会・ハイスクールコンサート〉が青少年教育の分野で評価を受け、文部大臣感謝状(2000年)、文化庁長官表彰(2004年)、衆参両院議長感謝状(2005年)、厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に指定され(2005年)、2006年5月には厚生労働省児童福祉文化賞(厚生労働大臣賞)を、2008年秋の叙勲で長年のボランティア活動に対し緑綬褒章を受章した。なお、ライフワークだったハイスクール・コンサートは2010年10月で実施1,500校を達成した。レコーディングした曲は7,000曲以上。2021年6月18日に逝去。

 

PROFILE: 増田 聡
71年、北九州市生まれ。大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻修了。博士(文学)。現在、大阪市立大学大学院文学研究科教授。ポピュラー音楽研究。著書に「その音楽の〈作者〉とは誰か—リミックス・産業・著作権」「聴衆をつくる—音楽批評の解体文法」「ポップ・ミュージックを語る10の視点」(共著)などがある。