(左から)黒川隆介、RYO-Z(RIP SLYME)
※取材は3月に行われました
 

気鋭の若手詩人・黒川隆介が洋邦/新旧を問わず、気になるアーティストの楽曲を1曲ピックアップし、その歌詞を咀嚼して、アンサーソングならぬ〈アンサーポエム〉を書き下ろすこの連載。対談を元にポエムを書く特別編の4回目のお相手は、RIP SLYMEのRYO-Zさんです。RIP SLYMEの結成秘話からリリック制作についてまで、普段から飲み友達だというお二人だからこそ話せる貴重なトークを公開いたします。


 

RYO-Zが思うアンサーポエムの印象

――まずはRYO-Zさんが黒川さんと出会った時の印象から教えていただけますか?

‎RYO-Z「りゅうくん(黒川)と知り合った時、〈何やってる方なの?〉って聞いたら〈詩を書いてる〉と答えたんだけど、それってなかなかの怪しさを持っているなあと思って(笑)。〈どういう人なんだろう、わからない〉って。だって職業作家の詩人だったらもうちょっと言い方が違うと思うし。それに詩人って、お仕事でもないと普通に知り合うこともないから面白いなと思って。

それで一緒に飲んでいるうちに、この連載記事を読ませてもらったのね。アンサーポエムを読んで、なんだろうな、五感に訴えてくるものがすごいあると思って。文章って2次元のものじゃない、そこから匂いとか音とかイマジネーションになる立体的なものを感じた。自分たちは音楽の活動だから、音にノって楽しめるように詞を書いているけど、りゅうくんのは文字として出てくるから、混じりけが無いし、言い訳が効かないじゃん。例えば、フジファブリック“若者のすべて”のアンサーポエムを読んだとき、その瞬間にそこにいたかのように隣の家のカレーの匂いがわかってきたのね。そこから情景を感じられたのが良いなって思ったなあ」

黒川隆介「RYO-Zさん、よく〈匂い立つ〉って言葉を使われますけれど、その部分にも共通している部分があるんじゃないかなと思いますね。大先輩にこんなこと言うのは恐縮ですけど」

‎RYO-Z「いやいや(笑)。例えば雨の表現ってなかなか文字にするのは難しいと思うけど、そういう匂いを文体から感じられる表現をされてるなって思いましたね」

黒川「いやーありがたいです。ありがとうございます」

 

音楽の原風景

――RYO-Zさんの音楽の原風景はどんな感じでしたか?

‎RYO-Z「僕らの頃はバンドブームだったから、とにかくいろんなロックバンドがいて。『イカすバンド天国』とかもあったし、原宿のホコ天がバンドで埋め尽くされるとか、とにかくいろんな人たちが世に出て行く感じだったね。存在としてはBOØWYが一番デカいけど、僕はユニコーンに思いっきりハマった。だから俺らも最初は〈バンドやろうぜ〉だったよ。それが中学生くらい」

黒川「もっと子供の時に聴いていた曲はありましたか?」

‎RYO-Z「小4の時のマイケル・ジャクソンとか風見しんごとかかな。“涙のtake a chance”でブレイクダンスがお茶の間で披露されて、いわゆるヒップホップ的衝撃はそこにあったのかなって思う。ブラックミュージックの要素とか」

黒川「なるほど、それがヒップホップとの出会いですか。その後バンドブームが来て、高校生になるとどういう音楽を聴くんですか?」

‎RYO-Z「実は最初、軽音部に入ったのよ、バンドがやりたくてね。ただ〈このムードはなんか違うなあ〉と思っていて、時を同じくしてダンスブームがやってきた。『高校生ダンス甲子園』とか『ダンスダンスダンス』とかの番組があってね。それで〈ダンス良いじゃん! やったらモテる!〉とか思って、ダンスの人たちはどんな音楽で踊ってんのかな、って辿り着いたのがヒップホップだった」

黒川「なるほど。そこでまたヒップホップと再会するんですね」

RYO-Z「そうそう、それでその頃、隣町に住んでてよく関わりのあったILMARIたちとクラブとかディスコに行くようになったんだよね」

黒川「当時はクラブでどういう音楽がかかってたんですか?」

‎RYO-Z「ディスコに行き始めた頃に僕たちがノリノリになった曲が、ヤングMCの“Bust A Move”って曲。で、これは後にわかったことなんだけど、ヒップホップの曲なのにベースはレッチリのフリーが弾いてたの」

黒川「へえ〜。その頃すでにミクスチャー的な音楽を好んでいた、と」

‎RYO-Z「その時はそこまで意識していなかったけどね」

 

94年の春、渋谷の街角で

‎RYO-Z「それで最初に就職したのが渋谷の某薬局だったんだけど、1日で辞めちゃって(笑)。なんせ就職したのが渋谷だったから、夕方くらいに仕事が終わって、スーツ姿でDJ's Choice(服や雑貨も扱っていたレコード店)って店に行ったわけ。そしたらMICROPHONE PAGERのP.H.FRONっていうラッパーがいて、ちょうど同い年でね。〈こんな格好してますけど、実はラップをすごくやりたくて……〉って言ったら〈いいじゃんやれば! やりたいことやったほうがいいよ!〉って言われて。それで〈そうしよ!〉って思って(笑)」

黒川「それでILMARIさんたちと?」

‎RYO-Z「そう、それが春の話。その後はクラブクアトロの地下にある古着屋でバイトをしていたら、ILMARIの後輩だったPESがデモテープを持ってやってきた。それで一緒にやろうってなってRIP SLYMEを結成したのが94年の夏だったのね。その数か月後の12月ぐらいに、RHYMESTERたちが主催するラップ・コンテストで優勝しちゃった。それでインディーズ・デビューしたっていう」

黒川「そんなすぐだったんですか」

‎RYO-Z「そう、4か月くらいだったかな」

黒川「活動し始めの頃はリリックを書くのも未経験だったと思うんですけど、どうやって書いていったんですか?」

RYO-Z「僕らはパーティー・ラップが好きで、ウチらみんなが影響を受けたのがファーサイド(The Pharcyde)。だから一人で書くというよりかは、みんなで書いていくんだよね。ヒップホップなんて音源がなくてもできるから、その時の流行りの曲のインスト音源に乗せて、みんなでテーマを決めて〈こんなことやろうよ〉って言っていく。もちろんちゃんとリリースする時はトラックを作ってもらうんだけど、〈あの曲のあのネタをやろうよ〉って言って乗せていったね。

DJ FUMIYAが加入してからはトラックありきで言葉を乗せていくこともできるようになったし。そうすると、いわゆるサビを考えてから膨らまして、そのサビにそぐうような、いわゆる平歌を4人おのおので考えていくっていう作り方になっていったかな。リレーでバトンを渡すようにね」

黒川「ラップの面白さの一端はそこですよね」

RYO-Z「でも、4人で世界観がまとまってないのとか、めちゃくちゃなこと言ってる曲もあるんだよ(笑)。〈俺は俺〉〈面白けりゃいい〉みたいな人もいるし、特にPESくんなんかは、4人の世界観がなるべく集約されるものを作ろうとしてたかな」