あの音はどうやって作られたのか?
ハリウッド映画の音作りに迫る必見のドキュメンタリー

音響デザイナーが語る映像と音響の知られざる歴史

 「映画で音は重要じゃない」。

 映画会社からはそう言われたと、複数の音響デザイナーが明かす。すばらしいしごとをしたのに評価されなかったり、後継者がいなかったり、不当に解雇されたりさえしてきた。いまから50年前だったら、〈映画音響の云々〉などという映画が制作されることなどありえなかっただろう。

 50年前? そう、1970年、この映画のなかでも大きく扱われる時代は、ここから10年のあいだに起こる。「THX-1138」(71年)、「ゴッドファーザー」(72年)、「ナッシュビル」(75年)、「スター誕生」(76年)、「スター・ウォーズ」(77年)、「地獄の黙示録」(79年)。

 これらの映画の音響的特徴を挙げよ、って問題はどうかな? あるいは、それ以前の映画の音響的特性と比較して言えることは?とか。

 映画の歴史とは、抑圧されていた音たちが解放されてゆく歴史であり、もともとなかった音がフィクショナルにつけ加えられてゆく歴史であり、映像と音響とが手を携えるに至る歴史だ。「ようこそ映画音響の世界へ」──原題はMaking Waves – The Art of Cinematic Sound──は、映画は好きだけどあまり気にしていなかった人があらためて音響に気づくための、もともと映画の音響が気になっていたけれどあまり具体的に知らなかった人のための、ドキュメンタリー。ちなみに〈波(Wave)〉の語はいろいろなところであらわれる語でイメージだ。

 まずは歴史を追う。

 画面にばん!と年代、それから事項が。

 1877年、エディソンの「メリーさんのひつじ」。1926年、「ドン・ファン」。1927年、「ジャズ・シンガー」。1933年、「キング・コング」。1941年のラジオ・ドラマと「市民ケーン」。1963年、「鳥」。

 スクリーンの下でオーケストラが演奏していたところから、スクリーンの背後での効果音の〈演奏〉。同時録音、効果音。ラジオでの新たな音響の試みから、音のひびく〈空間〉への意識。さらに音楽を〈省く〉ことが試されて、といった歴史。もっとも、こんな要約は画面/音響をにふれるなら吹き飛んでしまう。あぁ、こんなふうだったのか、100年もしないうちに変わってきたのか。大きな会社の理解はなかなか得られなかったのか。

 それから、音響デザイナーたちがどんなふうに映画の音響に惹かれ、映画監督と出会い、しごとをするようになったのかが、語られてゆく。ウォルター・マーチ、ベン・バート、ランディ・トム、ゲイリー・ライドストローム──名は知っているが、こういう人なんだ!とはじめて接する顔、表情、若き日の写真。かれらは縁の下の力持ちで、なかなか姿をみることができない。できなかった。ここではちゃんとカメラを前にしてしゃべってくれる。それは逆に、1970年代から映画音響を切り拓いてきた人たちが、この映画を撮影している段階では元気で、しかも映画がステレオになり、いくつもの音を重ねて複雑なひびきをつくりだすようになってから、まだそれほど経ってはいない、ということを意味する。