アルジェリアで生まれ、10歳でフランスに移住したラシッド・タハがカルト・デ・セジュールでデビューするのが1983年。その前夜マグレブ系の移民が集うリヨンのクラブに出入りしていた彼はその後華々しくロックスターとなっていくが、そのピークは98年頃。タハのスター街道と同時代に彼の第二の故郷リヨンで夜な夜な鳴らされていたマグレブ系の音楽達。それはギラギラとしたシンセとドラムマシンに乗ったこぶしのきいたハイパーでいなたいポップ・ミュージックで否応なく昂揚する。同時に移民の星であるタハの活躍を見つつ彼らがどんな想いで歌っていたのか想像するとまた一味も二味も違ってくる。
VA『Maghreb K7 Club: Synth Rai, Chaoui & Staifi 1985-1997』ラシッド・タハ活躍の裏で鳴っていたマグレブ移民のハイパーでいなたい音楽
