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信輝さんはずば抜けていた

――それで、バンドを始めるんですね。

「自分でバンドは始めないよ。一番最初は呼ばれたの、ドラムで。

林恵文(フラワー・クリエイション、パワーハウスの前身、ベベズ等を経てゴールデン・カップスに参加したベーシスト)とはバンドをやってたよ、ベンチャーズのコピーバンドを。一番最初のバンドはボーカルが同級生の女性だった。加部(正義)君は小っちゃい頃からの友達で、僕のギターの先生だった」

――加部さんからギターを教わったんですね。

「違うよ、人から教えてもらったことはない。加部君にコピーしてもらって、それをパクってたの。その後はチャッピー(ワイルド・ワンズの渡辺茂樹。70年、陳信輝、大口広司とオレンジを結成)にコピーしてもらってた。

高2の時、加部君のステージを見て、向こうも俺のことを見てくれて、高3くらいからは毎日一緒にいたからね」

――李さんはバンドを始めた陳さんをどう見ていましたか。

「高校1年だったかな、横浜公園(現在の横浜スタジアム)のフライヤージム(元は米軍のスポーツ施設だった体育館)でアマチュアのコンテストがあって――アマチュアっていってもほとんどがセミプロなんだけど、そこでムー(柳譲治、関口敏郎、野木信一)で演奏している信輝さんを見ましたね。ずば抜けてた。

ベベズ(竹村栄司、陳信輝、柳譲治、野木信一)はロマンで見ましたね。この時はもう日本じゃベベズが一番だと思いましたね。カッコいい曲ばかりやってました」

「ベベズの時は、みんなが知らないイギリスやアメリカのカッコいい曲を知ってもらいたいなと思ってやってたんだ。ベベズは最初3人だったからクリームだったんだよ。でもボーカルがいないとダメだからってチー坊(竹村栄司)を誘った」

 

パワーハウスからフード・ブレインへ、そしてザ・タイガースとのレコーディング

――そして、パワーハウス(竹村栄司、陳信輝、柳譲治、野木信一)が始まります。

「発電所って意味ね。このバンド名、どこから取ったのかずっと謎なんだけど」

パワーハウスの2020年のコンピレーションアルバム『1968-69』収録曲トレイラー

――ラヴィン・スプーンフルがメインのエレクトラのコンピアルバム『What’s Shakin’』(66年)に収録されているエリック・クラプトン&ザ・パワーハウスから取ったそうですよ、チー坊さんから教えてもらいました。

66年作コンピレーションアルバム『What’s Shakin’』収録曲エリック・クラプトン&ザ・パワーハウス“Crossroads”

――そして70年、パワーハウスからフード・ブレイン(陳信輝、加部正義、柳田ヒロ、角田ヒロ)へ。自分のバンドを持ちたかったということなのでしょうか。

「それはない。(フード・ブレインを始めた理由は)次の音楽をやりたい、だよ。
その前に、川添(象郎)さんプロデュースで、加橋かつみ(ザ・タイガース)のレコードを俺がギターで(柳田)ヒロがキーボードで録音したんだけど、あれは出たんだっけ」

――中学生の荒井由実が、成毛滋のザ・フィンガーズなどグループサウンズの追っかけをやっていた頃、陳さんが荒井さんの曲を加橋さんに紹介した話は知られてますね(71年5月にリリースされた加橋かつみのシングル“愛は突然に…”)。

「正確には彼女が人を介して言って来たんでレコード会社を紹介したんだよ、アルファを。かつみ君は俺のことが好きだったからね」

加橋かつみの71年作『1971 花』収録曲“愛は突然に…”

――陳さんはザ・タイガースの曲にも参加しています。

「覚えてないけど、2曲参加してるって言われているな」

――ザ・タイガースが1曲(70年のシングル“素晴しい旅行”)、サリー&シローが1曲(70年のアルバム『トラ70619』収録曲“YS-11”)じゃないですか。

「サリー&シローの曲はフラワーズ(内田裕也とザ・フラワーズ)の小林勝彦が作ったんだ。スチールギターの人の曲だから難しくてさ、指が追いつかなかったな。

話は飛ぶけどエディ藩のアルバムでギターを弾いた時も普通使わない音だったから耳がもうダメになって、(李世)福ちゃんに代わってもらったことがあるよ」