パンク精神を持ったままダンスミュージックへ
キャバレー・ヴォルテールはパンクもうまく自分たちの音楽に取り込みました。リズムマシーンにアナログディレイをかけ、そこにシンセで歪んだギターの音を再現したようなサウンド(要するに指を引き攣らせなくっても、誰もが指一本でパワーコードを弾けるようにしたわけです。この手法はヒューマン・リーグなどに引き継がれました)を乗せ、〈nag nag nag(口うるさく言う)〉と呪文のように歌う曲はパンク時代に衝撃をあたえました。
それは20年後、LCDサウンドシステム、ピーチズなどの、エレクトロクラッシュと呼ばれる80年代のポストパンク、ニューウェイブを90年代のダンスミュージックで再現しなおした音の一番のお手本になった音楽でした。
そんな彼らが82年に来日した時の衝撃は今でも忘れられません。コラージュみたいなノイズミュージックをやるのかと思っていたら、ディスコもぶっ飛ぶダンスサウンドだったのです。ZEレコードなどでは知っていたエレクトロニックファンク、ホワイトファンクを完全に自分たちのものにしていたのです。しかもそれをちゃんと生でやっていたのです。その時のライブはCD『Hai! (Live In Japan)』になっていますので、聴いてみてください。
どこか暗くて悲しいシェフィールドの音楽
そして、リチャード・H・カークは90年代に入ると、ワープ・レコーズよりスウィート・エクソシストという名義で当時はブリープと呼ばれたアシッドハウスとリンクした作品をリリースするのです。
キャバレー・ヴォルテールを語る上で語らないといけないのは彼らの出身地シェフィールドです。彼らがいたからそうなったのか、それとも元々そういう土地なのか、シェフィールドはヒューマン・リーグ、ABCなどたくさんのエレクトロニックミュージックのアーティストや、ワープ(というレーベル、元々はレコード店)を輩出したエリアでした。
工場地帯だったからそういう音楽を産んだのでしょうか、でもシェフィールドの音楽のどこか暗くって悲しいところはアークティック・モンキーズを聴いても共通点を感じられるでしょう。
シェフィールドはデフ・レパードなどのヘヴィメタルの聖地でもあります。それにパルプも。シェフィールドってなんか屈折してるでしょ。
キャバレー・ヴォルテールよ永遠に
たぶんもうキャバレー・ヴォルテールのような音楽は生まれないでしょう。でも70年代の空気とパンクからの影響を吸い、アシッドハウス前夜のエレクトロニックミュージックをリードした彼らの音楽はこれからも〈こういうネタは今も使えるよね〉と刺激を与えていくでしょう。
キャブスよ永遠に!