出発点としてのパンク、そして新たなヴィジュアル・コミュニケーションへ

 英国のグラフィック・デザイナー、タイポグラファー、アート・ディレクターであるネヴィル・ブロディは、80年代初頭から、23 Skidoo、クロックDVA、スロッビング・グリッスルなどをリリースするインディペンデント・レーベル、フェティッシュ・レコーズのアート・ディレクターとして活動し、パンク以後におけるデザインに、その斬新なヴィジュアル・イメージによって大きな影響を与えた。同時に「The Face」誌のアート・ディレクターとして、その名は広く知られることになる。91年には、英国の実験的電子音楽レーベルtouchの創始者ジョン・ウォーゼンクロフトとともに、デジタル・フォント・タイプフェイスの実験を試みた先鋭的な雑誌「FUSE」を創刊し、グラフィック・デザイン、タイポグラフィーにおける新しいスタイルを切り開いてきた。近年も、さまざまなファッションブランドやタイムズ紙のロゴのリデザインを手掛けるなど、デザインの第一線で活躍。現在は、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのコミュニケーション学部の教授を務めている。

 今回、サッカーJ2の東京ヴェルディが、2019年にクラブ創立50周年を迎えるにあたり、ブランディングを再構築、ロゴデザインを一新するためにブロディを起用した。そのお披露目のために来日したブロディに、彼のデザインの原点であるアヴァンギャルド・アートとパンク、およびその関係、そして、デザインにおける現在にいたるまで変わらぬ彼の思考を聞いた。

今年50周年を迎え、総合クラブ化を進める東京ヴェルディのクリエイティブデザイン&ブランディングを統括、そのロゴデザイン他をネヴィル・ブロディが手掛けた

 大学での研究テーマは、ダダとポップ・アートだったという。時代はパンク真只中、ジェイミー・リードによるセックス・ピストルズのレコード・カヴァーのデザインや、その破壊的態度から、音楽評論家グリール・マーカスがパンクをネオダダと呼んだ。ダダやポップ・アートと音楽のエネルギーがぶつかり合い、そこに新たな表現言語が生み出された。

 ブロディは、「あの時代のロンドンはすごくおもしろかった」と語りながらも、それは「自由がなく、すごく大変な時期だったから」だと言う。「ロンドンではパンク以前の、60年代から若い世代が自分のアイデンティティを表現する手段としてのサブカルチャーが盛んだった」、そうした時代的な環境の中で彼がデザインを通して表現活動を開始したことが、自身にとって非常に大きな影響となっているが、パンクの思想を取り入れようとしていたわけではない。「パンクというのは、だれか特定の人が作ったというわけではなく、自然に発生したもの」であり、彼にとってそれは同時代的なムーヴメントであったのだ。「確実に言えるのは、あの時代のあの環境の中でパンクというのはすごく実験的でクリエイティヴだったということ。それが、自分が表現する、デザインする上で大きな意味を持っていた」その中で自身の表現も自然と同時代的なスタイルを獲得するようになっていったのだという。そして、パンクの思想と共鳴する20世紀におけるアヴァンギャルド・アートが再発見された。「ダダイズムはブルジョワに対するアンチであったし、構成主義は非伝統的であり、ポップ・アートは大量消費に対する批評だった。これはパンクというものに共通する3つの要素」である、と彼は言う。

 当時の英国におけるパンクの役割には、ポリティカルな態度の表明があった。ダダイズムの破壊的な表現を援用しながら、新しいことを作るために古い価値観を破壊することが必要だった。それは暴力的な態度となってはいたが、単なる破壊ではなく、新しい可能性を発見するための、創造のための破壊であり、それこそが20世紀のアヴァンギャルド・アートが行なってきた価値の転覆であったし、そうした行為を通して、過去と切断しながら新しい文化のスタイルを創造するきっかけを作ったのがパンクだったのだ。