2021年9月21日、英シェフィールド出身のアーティスト、リチャード・H・カークが亡くなった。65歳だった。
リチャード・H・カークは73年にキャバレー・ヴォルテールを結成、インダストリアルミュージックの先駆けとなる先鋭的な音楽を生み出し、90年代はDJパロットことリチャード・バラットとのスウィート・エクソシストでUKテクノを牽引。無数の名義を使い分けて膨大な数の実験的な作品を作った彼は、最期まで信念を貫いたアーティストだったと言える。2020年11月にキャバレー・ヴォルテールとして新作をリリースしたばかりであり、多くのファンがリチャードの早すぎる死を惜しんだ。
今回は、フォトグラファー/音楽ライターの久保憲司が、リチャード・H・カークの功績やキャバレー・ヴォルテールが後続に与えた影響を振り返る。 *Mikiki編集部
キャバレー・ヴォルテール復活直後の急逝
スロッビング・グリッスルと並びインダストリアルでエクスペリメンタルなエレクトロニックミュージックの巨塔キャバレー・ヴォルテールのリチャード・H・カークが亡くなりました。キャバレー・ヴォルテールは元々は三人組だったのですが、近年は彼一人のプロジェクトとなっていたので、その長く偉大な歴史に終止符がうたれました。近年再評価されつつ、しかも26年ぶりのニューアルバム『Shadow Of Fear』(2020年)がリリースされたばかりだったのに。
ポストパンク時代のインテリ担当
キャバレー・ヴォルテール(通称キャブス)はその音楽以上に、スロッピング・グリッスルとともにパンク、ポストパンク時代のアカデミック(インテリ)な部分を担当していたバンドでした。
僕は、79年のキャブスとジョイ・ディヴィジョンとウィリアム・バロウズがやったイベントを観たくって仕方ありませんでした。その頃のキャブスはバロウズの編み出したカットアップ(違う本2冊を半分にぶった切って、半分になった違う本をくっつけて、そこから生まれた変な言葉を作品に使う手法、無意識を使った手法ですね。人間の感覚を超えた言葉を生もうとしてたのです。そうやって生まれた言葉が〈ヘヴィメタル〉〈頭脳警察〉〈ソフト・マシーン〉など)を音楽にしたような作品を作ってました。このイベントの後、バロウズはまた時代の波に乗り出したのです。
前衛アートの超重要ムーブメント、ダダのアーティストたちが集まっていた場所をバンド名にしたキャブスの発想は、後のバウハウス、ハシエンダ、スクリッティ・ポリッティなどの先駆けとなりました。YMOが〈未来派だぜ〉みたいなことを言い出した原点は彼らにあったのです。彼らは別にダダでもなんでもなかったと思いますが、ただ単にキャバレー・ヴォルテールと名乗ることによって、もう終わってしまったアート運動がさも現在とリンクしているかのようにポスト構造主義的なレイヤーで語り、それがかっこよくて何かすごく意味があるかのように感じさせたのです。