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Photo by Emily Ramharter

ふたりの演奏の区別が消え〈ひとつの体験〉になること

――世界的な新型コロナウイルスの流行は今回のコラボレーションにどのような影響を与えましたか? ストーリーはいち早く2020年3月にこの状況に反応し、安らぎと快適さとコミュニティーをテーマに『Smudges 3: Isola』をリリースしました。『4 Hands』もパンデミックの影響下にある作品と捉えていいのでしょうか?

ローデリウス「パンデミックとの直接的な関係はまったくありません。作品それ自体がありのままの姿なのです」

ストーリー「『4 Hands』の制作の多くはパンデミック以前に行われたものなので、アヒムが言ったように、直接的にはまったく関係はありません。でも、今にして思えば、不思議なことにとても関係があるように思えます。『4 Hands』は、音楽的にも個人的にも人と人との関係の音楽であり、小さく静かなスケールで展開されます。なぜだか、人間が直面しなければならなかった困難や変革的な変化が反映されているようにも見えます。おそらくふさわしいタイミングだったのでしょう」

――『4 Hands』が興味深いのは、これはふたりのアーティストが作ったのか、次第にあいまいになってくる点です。ふたりが目の前で並んで2台のピアノを弾いているようにも聴こえますが、全く同じグランドピアノの響きであることと、あまりに精緻に組み合わされているので、聴き続けていると次第にその境もあいまいになっていきます。どのようなプロセスで制作が行われたのでしょうか。また、どの程度編集の作業が行われたのでしょうか?

ローデリウス「このアルバムのすべての秘密はティミーが握っています」

ストーリー「これは私にとって嬉しい質問です。なぜなら、『4 Hands』での私たちの望みのひとつは、ふたりの区別が完全に消え、〈ひとつの体験〉になることだったからです。まったく同じピアノを使うことは、そのような錯覚を助長しますし、アヒムの美しく自然なフレーズを学ぶ時間がもてたことで、私のインタラクションを調和させ共鳴させることができました。お互いの音楽を何十年も前から知っていることも役立っています。

そうですね、確かに編集はしてあります。アヒムの独特なフレージングにずっとシンクロし続けるのは不可能ですからね! 同じピアノを異なる時間に演奏し、たびたび同じオクターブで重なり合わせることで、ある種の必要な〈人工性〉がこのプロセスに加えられました。しかし、私たちの最大の願いは、いつものように、技術的な〈秘密〉が音楽体験のなかに完全に消えてしまうことなのです」

『4 Hands』収録曲“Nurzu”

――制作の過程においては即興と作曲はどの程度のバランスで行われたのでしょうか? 聴き手のイメージとしては、ローデリウスが即興のパートを担当し、ストーリーは作曲の部分、というイメージがありますが、実際にはどうだったのでしょうか?

ストーリー「最初はふたりとも即興演奏がベースになっていたと思います。特にアヒムの場合、即興は彼のユニークな強みのひとつです。でも、アイデアを練り上げていくうちに、より構造的な〈作曲〉としての側面も持つようになりました。実験からはじまったアヒムの最初のパートも、私たちがもっとも共鳴するパートを形作るにつれて、より意図的なものになりました。彼がオリジナルパートを録音して、オーストリアに戻った後、私は何か月もかけて新しく面白いリズムやハーモニーで楽しく実験し、アヒムが作り出した楽曲にまったく新しい視点を持ち込みました。これらのアイデアと探求は、作曲と即興の区別がなくなるように、徐々に最終的な作品へとまとめられました」

 

亡き友ハロルド・バッドへの追悼

――“Haru”はおふたりの友人、アンビエントのパイオニアのひとりであり、2020年に亡くなったハロルド・バッドに捧げられています。彼のニックネームであり、日本語の〈春〉とかけられているところにも、とても心を打たれました。あなたがこうしたパーソナルな出来事を曲にすることについても感慨深く、彼へのレクイエムであると同時に、暗い世界の状況になにか明るい光が差し込んでくるようにも感じました。また、“Nurzu”のタイトルも、彼との出会いの際の言葉〈Let’s do it!(さあ、やろう!)〉からとられているそうですね。彼との思い出でお話しできることがあれば教えてください。また、彼はこのアルバムの曲を聴く機会はあったのでしょうか。

ローデリウス「いや、彼は新型コロナウイルスに感染してしまい、パンデミックの間、入院していました。かわいそうに、助からなかったのです。最初に彼と出会ったときから〈Let’s do it, Man〉という言葉は私たちの絆でした」

ストーリー「今も悲しい喪失感でいっぱいです。しかし、ハロルドは私たちが最終的に彼のために名付けた曲を聴いてくれていて、とても気に入っていました。ハロルドとは90年代に行われたクラスターの最初のアメリカツアーのときに、アヒムからLAで紹介されて出会い、彼の晩年の2年間、何度か一緒に演奏する機会がありました。私たちはよい友人となり、たびたびお互いの音楽を共有していました。“Haru”の初期段階のものを作り終えたとき、私はハロルドにそれを送ったのです。彼はとても興味をもってくれて、スティールギターを加えたらどうかと提案してくれました。そのギターについての彼のアドバイスは取り入れませんでしたが、彼があの曲を聴く機会があって本当によかったと思います」

『4 Hands』収録曲“Haru”

――また、ローデリウスは影響を受けたピアニストのひとりとしてハロルドの名前を挙げています。ピアニストとしての彼のどんな点を評価していたのでしょうか。また『4 Hands』が完成して、彼の影響は投影されているとお感じになりますか?

ローデリウス「彼の人柄に影響を受けました。ピアノに対する私たちのアプローチはまったく違いますが、ほぼ同じ時期にそれぞれが独自の方法を見つけました」