歌うつもりじゃなかった
――だけどそんなゴリラ祭ーズの内々だった活動が、2021年から外に転がり始めますよね?
平野「いったん、僕らの大学受験のときに解散したんです。みんなの受験が終わってからあらためて活動を再開して」
古賀「再結成というか、これからはゴリラ祭ーズとして何か活動をしようという思いはあったんです。だけど、ちょうどコロナ禍が始まったし、平野くんが鳥取の大学に進んだので、なかなか集まるのが難しくなって。それで、その期間はいろんな音源をリモートで作ってコンテストとかに応募しようと決めて、あちこちに送ってたんです。そのなかの1曲が“有楽町のうた”だったんです」
――そのひとつが、ニッポン放送が募集した〈有楽町うたつくり計画〉というプロジェクトだったんですよね。しかも、“有楽町のうた”は最優秀作品に選ばれた(2021年6月23日発表)。すごいですよね。
古賀「ほんまにそこから今まで来てるという感じなんです」
――初期のインストから聴いていった同級生とか身近な人たちも“有楽町のうた”を聴いてびっくりしたでしょうね。インストバンドだったはずなのに、すごく堂々とした歌ものじゃないですか。古賀さんの歌もすごくいい。
古賀「個人的な趣味として歌ってはいたんですけど、自分の歌にずっと自信がなかったんです。〈有楽町うたつくり計画〉に応募するにあたっても、〈歌〉という縛りがあったから歌った、くらいの気持ちでした。全然歌うつもりじゃなかったんです。それに〈有楽町うたつくり計画〉は作曲のコンテストやったんで、もし受かったとしても他の人が歌ってくれるんじゃないかな、くらいの気持ちでした」
――そしたら、結局自分たちの歌ごと最優秀賞になってしまった。
古賀「(〈有楽町うたつくり計画〉の音楽プロデューサーの)本間(昭光)さんにも〈もっと歌ったほうがいい〉とすごく褒めていただきました。自分でも〈そうなんかー〉と思うところもあり、それからはインストもやるけど歌もある、みたいにバンドの感じが変わっていきました」
〈そのままのゴリラ祭ーズらしさ〉がバンド感
――その受賞がきっかけで、“マフィン”、“バンド”、“寝ても覚めても”と歌ものの新曲をどんどん作って発表していきますよね。そこにも覚悟は感じます。あるいは葛藤なのかもしれないけど。でも、そういう心境も歌詞に表れていたりするのがまたリアルで初々しい。だから聴く人にも響いてると思うんです。
古賀「〈歌を歌ったほうがいい〉とは言われたけど、〈何を歌ったらいいんだろう?〉みたいなことはいまだに思ってて。〈難しいな〉という気持ちをそのまま歌詞にしようとしてやってます。
歌もののメロディーの感覚や作曲に関しては、星野源さんの影響が強いかなと思ってます。本当に高校時代は星野源さんしか聴いてなかったので、むしろ今はどうやってそれから逃れるかという感じで曲を作ったりしてます。インストに関してもSAKEROCKの影響は受けてますね」
――いや影響が大きいのはわかるんです。だけど、ゴリラ祭ーズの歌ものって、自分たちが何者なのかを決めずに、きちんと自問自答しながら作られてると思うんですよ。だから、そこに特別に個性的な音楽というより、自分自身を隠さないっていうオリジナリティーが出てるんじゃないでしょうか。〈こういうふうになりたい〉というのはあくまで入り口で、〈出口はどこになるかわからないけどもうちょっとこの先まで進んでみよう〉という気持ちのほうが強いバンドなんだなと感じてます。理想としてるモデルがあるのもわかるんですけど、そのわりに単なるフォロワーになってしまってない。この3人でこのサウンドなんだっていうケミストリーを感じます。普通の編成じゃないけど、そこにはバンド感がちゃんとあるというか。
古賀「むしろバンド感がないことを気にしてたので、今そう言われてびっくりしました。
アルバムを作りませんかというお話をいただいたとき、みんなでコンセプトとかを話し合って、インストだけにしようという案もあったんです。だけど、やっぱりインストバンドで栗コーダーやSAKEROCKを目指すところから始まって、どんどん流されるままに歌も歌ってる、そのままの自分たちを出したほうがいいのかなとなってきて」
平野「そのほうがゴリラ祭ーズらしさが出るかなと」
古賀「だから統一感とかを意識せず、出てきたものをまとめた感じはあります」
――本人たちとしてはこれまでの流れや変化を感じる部分はあるだろうけど、ファーストアルバムとなる『ゴリラ祭ーズのアルバム』で初めてゴリラ祭ーズを知る人が多いはずだから、これがバンドの名刺みたいな作品になると思います。
古賀「そうなったら理想的です(笑)」