(左から)舩越悠生、平野駿、古賀礼人

古賀礼人(ギター/ボーカル)、平野駿(リコーダー)、舩越悠生(鍵盤ハーモニカ)という滋賀出身の現役大学生3人によるバンド、ゴリラ祭ーズ。「オールナイトニッポン」の企画〈有楽町うたつくり計画〉で最優秀賞を受賞した“有楽町のうた”(2021年)でにわかに注目を集めた彼らが、ついにファーストアルバム『ゴリラ祭ーズのアルバム』を2022年4月13日(水)にリリースする。

そこで、今回は、彼らがリスペクトするという松永良平(リズム&ペンシル)をインタビュアーとして、ゴリラ祭ーズのこれまでとこれからについて訊いた。〈攻撃的〉な編成の背景、SAKEROCKや栗コーダーカルテットに憧れるインストバンドが歌ものに挑んだ経緯、固まりきらないアイデンティティーともやもやした葛藤……。3人が自然体で語った。 *Mikiki編集部

ゴリラ祭ーズ 『ゴリラ祭ーズのアルバム』 TOWER RECORDS LABEL(2022)

 

これまでのゴリラ祭ーズ

――ゴリラ祭ーズの結成は2017年。みなさんまだ高校生だったそうですね。

古賀礼人「滋賀県立石山高校の吹奏楽部の仲間3人で結成しました」

舩越悠生「僕だけ1学年下でした」

――部活のなかで知り合ったとして、バンド結成は誰が言い出しっぺだったんですか?

平野駿「もともと僕ら3人、仲良しだったんです。そのなかで古賀が〈バンドをやりたい〉ってずっと思ってて」

古賀「それで、栗コーダーカルテットの“おじいさんの11ヶ月”という曲をみんなでカバーしてみようぜ、って僕が誘ったんです。僕がリコーダーを吹くから、(平野は)部活でチューバ担当やったんでそれを吹いてもらって、舩越くんには……なんで鍵盤ハーモニカをやらしたんやっけ(笑)?」

栗コーダーカルテットの2007年作『笛社会』収録曲“おじいさんの11ヶ月”

舩越「自分でもよくわかってない(笑)」

古賀「その編成で一回カバーをやって、バンド名もなんとなくそこでつけたものなんです。そもそも本当に内々の集まりで〈活動〉って感じでもなかったですね」

平野「部活を始める前のミーティング前に練習をしてて、それがたまたま他の部員にも聴かれたから認知されて、部内で演奏会でも開こうか、みたいな展開に」

――サブスクには『これまでのゴリラ祭ーズ』というEPがアップされてますよね。2020年のリリースですが、ここには高校時代の楽曲も入っている?

古賀「そうです。高校時代にボイスメモで一発録りした音源とかも入ってます」

平野「かき集めたような感じでした」

2020年のEP『これまでのゴリラ祭ーズ』

――でも、その時点ですでに面白いですよね。楽器の編成も限定されすぎている。〈これでいい!〉と決断したことが発明みたいなところがある。

舩越「弾ける楽器が他になかったんです。古賀くんはギターが弾けたんですけど、僕はギターもベースもドラムもできないので、とりあえず鍵盤ハーモニカを最初にやったからその後もずるずるとやってる感じでした(笑)」

平野「僕も古賀くんがギターで、舩越くんが鍵ハモをやってるから、リコーダーは余ってるなという感じで、それをずるずると続けてきました(笑)」

古賀「でも編成に関しては、僕らは栗コーダーやSAKEROCKがすごい好きだったし、そういう系のバンドが今あんまりいないんじゃないかなと思って。〈誰もいないのなら自分たちでやりたい〉という意識はありました。だから、リコーダーと鍵盤ハーモニカは今後も使っていきたいです」

 

ゴリラ祭ーズの懐かしくて新しいインストサウンド

――最初にインストバンドっていうこだわりがあったわけですよね? どうしてそうなったんだと思います?

平野「吹奏楽の影響が大きいかもしれないですね。あと、3人が単純に栗コーダーやSAKEROCKの音楽が好きだったということもある」

古賀「いや、舩越くんは最初はそんなに好きでもなかったんちゃう?」

舩越「そうですね……。ゴリラ祭ーズに呼ばれて、そういうバンドを知ったという感じでした」

古賀「僕はどこで出会ったのかあんまり覚えてないですけど、栗コーダーは中学生くらいからすごく好きでした。同世代で栗コーダーを知ってる人なんていなかったのに、高校に入ったら平野くんが知ってて。それでびっくりして意気投合したようなところもあったかな」

平野「中学の頃、みんな音楽を聴き出したし、僕も音楽を好きになりたいなと思ってTSUTAYAで洋楽や流行りのJ-PopとかのCDを借りたりしてたんです。でも、やっぱりいちばん聴いてたのは栗コーダーがやっていた『ピタゴラスイッチ』のサントラやったなーと思って」

2010年のコンピレーションアルバム『ピタゴラスイッチ うたのCD』収録曲 栗コーダーカルテット“ピタゴラスイッチ オープニングテーマ”

古賀「SAKEROCKは、高校のときに星野源さんを先に聴いて、後で〈バンドもやってたんや〉と知って聴きました」

平野「あ、もうひとつ思い出しました。うちの親が、リコーダーやオカリナを使って幼稚園とかで演奏するような地域の音楽サークルをやってたんです。それの影響はすごくあると思います」

――舩越さんはそんな2人がやりたい音楽のことを率直にどう思ってました?

舩越「“おじいさんの11ヶ月”を最初に聴いたとき、子どもの頃に聴いてた音楽やし、素直に〈懐かしいな〉と思ったんです。こういうジャンルの音楽をちゃんと聴いたことがなかったから新しさを感じて興味を持ったというのはありました。〈今これやったら面白いかもな〉って」

――懐かしさと新しさが両方あるのを面白く感じたんでしょうね。そこは大きなポイントですよね。ちなみに、練習は部室以外でも琵琶湖のほとりでやっていたというエピソードを読みましたが。

古賀「ほとりというか、瀬田川(琵琶湖から流れ出る唯一の川)沿いにちょっとした広場があって、高校のときはそこでよく練習してました」

2020年のびわ湖ホールでのライブ動画

――練習スタジオとかに入るとドラムがあったりするけど、そういうロックバンド化する要素がない環境でやっていたのもよかったのかも。

古賀「あと、吹奏楽部でわりとアンサンブルの面白さを知っていたので、ドラムやベースがないことにそんなに違和感を感じてなかったんです」

――隙間とか低音の無さみたいなことに対する恐怖心がなかった?

平野「いや、(そういう要素が)必要と思ってたりはするけど(笑)」

古賀「そもそも、ちゃんとした音楽をやろうというスタートじゃなかったので」

平野「この3人でのアンサンブルをしようというのがコンセプト」

古賀「いや、コンセプトですらなかった(笑)。ライブハウスでも京都のROOTER×2(ルータールーター)という店で3回しかやったことがないし」