Photo:LiliRoze / Sony Music Entertainment

プティボンが国境、時空、感情を〈横断〉して描き出す、一遍の物語

 今やフランスのオペラ界を象徴する声楽家のひとりとなったパトリシア・プティボンは、従来のクラシック音楽の常識や枠組みに捉われない挑戦的な姿勢で知られ、これまでも個性溢れるディスコグラフィを築いてきた。ドイツ・グラモフォン時代の『風変わりな美女』(2014)ではサティやプーランクにレオ・フェレのシャンソンをカップリングし、ソニー・クラシカル移籍後に発表した6年ぶりのソロ・アルバム『愛と海と死』(2020)ではフォーレの“水のほとりで”に続けてジョン・レノン&ヨーコ・オノの“オー・マイ・ラブ”を歌った。プティボンの音楽世界はいつだって予定調和と無縁のところにある。

PATRICIA PETIBON 『La traversée』 Sony Classical(2022)

 ソニー・クラシカルでは2枚目のリリースとなる『La traversée(ラ・トラヴェルセ)』も、プティボンの才気みなぎるコンセプト・アルバムである。〈traversée〉とはフランス語で〈横断〉の意。このアルバムのなかでプティボンは国境や時空だけでなく、人間の感情の極限をも超えていく。ヘンデル、ラモー、グルック、モーツァルトからヴェルディ、オッフェンバックまで、多彩なオペラのヒロインたちの劇的なアリアの数々を、プティボンは仮面を付け替えるかのように歌い継いでいく。国も時代も様式も異なるこれらのアリアの連なりも、プティボンの魔法にかかるとまるで一遍の物語のように聴こえるのだ。このアルバムが一貫性と統一感を得るうえで、アンドレア・マルコンとバーゼル・ラ・チェトラ・バロック・オーケストラが果たした役割も大きく、彼らはプティボンが〈横断〉していく際の橋となる。

 アルバムは後半に入るとヴェルディの“シチリア島の夕べの祈り”からオッフェンバックの“ジェロルスタン女大公殿下”、そしてモーツァルトの“イドメネオ”と続いてクライマックスを形作る。この3つを続けて聴いてみれば、プティボンが描きたかった〈横断〉の意味を自然と理解できるはずだ。